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新食育学

私は自分の経験から、例え学校の成績は悪かったとしても(試験で高得点をとれなくても)スポーツや音楽など自分が好き、楽しいと思うものをとことんやったり、また海や山など自然の中で思いっきり遊んだりして、好きなことをとことんやり続ければ“感覚”という授業では学ぶことが出来ないものが備わり、それをうまく生かせる仕事につくことができれば生活をするための収入にもつなげることができるだろう、と考えています。

実際に自分や友人たちを見ていても、たとえおバカさんでも感覚の優れたヤツにはかなわない、世の中感覚でなんとかなることも多いなと感じます。エビネ、錦鯉、焼き物、他、釣り、スポーツ、音楽等、色々な事柄において良いものに共通するなにか?微妙な感覚的なものがあるのではなかろうかと感じています。何故ならば、それぞれに異なる分野の人達が同じものを良いと感じる、つまり共通することが多くあるからです。

私がはじめて「食育」という言葉を耳にしたのは7~8年くらい前のことだと思います。

人が生きていくうえで感覚的能力は大切なものではないかと、普段から感じていた私は「食育」という言葉を聞いた時、そのまま言葉の響きからすぐに「食べ物を通して感覚的なものを養うこと」だろうとイメージして思い込んでいました。

しかし最近になってはじめて辞書で調べてみたところ、その言葉の意味が私が想像していたものと全く違う事を知ってビックリしました。私は長い間、食育と言う言葉をかなり取り違えてとらえていたようです。なんとなくわかるようなわからないような?と感じました。どうやら今でもその内容には私が想像したような意味は含まれていないようで、残念です。

私は、特に加工の度合いが少ない農水産物は食を通じて感覚的要素を身につけるためにうってつけの材料だと思っています。多忙を極める現代社会の中で子供たちに自然の甘味、苦味、風味、食感など農産物の本来の持ち味をきちんと教えるのは難しい家庭も多い事でしょう。そのため、学校給食にとりいれ、その一部を行政がやらせていただくのが一番良い方法だと考えています。

大切なことは、色々な分野で感覚を育てることです。食の感覚に優れた人材を育てることも大切であり、人が生きる上で最も大切な食を通して子供たちの感覚的要素を養い、将来料理人、または農業、その他感覚を使う様々な分野で活躍できる人に成長すれば素晴らしい事と思います。

農業、そして日本が発展するには、かなり先(10年以上)を考えたビジョンが必要なことが明らかです。


コラム筆者:山本裕之

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