園芸を極める [1]

私は、園芸は単に植物を育てることではなく、植物を育てることを通じて、思いやりや責任感、自然界のルールなど、多くの事柄を学び、自分自身を成長させる事だと考えています。しかし、園芸と辞書を調べてみると、[蔬菜、果樹、などの栽培またはその技術、一般的には植物を楽しむ。]と記されています。さらに花育の定義を見ると、業界の利益のためのこじつけかと思うようなよく分からないことばかり書いてあります。

花が好き、園芸は楽しいと話す人は少なくありません。確かに元々花を育てている人や咲いている花を買い眺めるだけならば楽しいかもしれません。しかしそれだけでは園芸の本質を知ることは出来ないと思っています。勿論、花を楽しむことを否定しているのではありません。ただ楽しむだけではなく、特に子供たちの場合、「植物を育てる」という行為を通じて、命あるものをしっかり育てるという責任感やおもいやり、自然界のルールなど様々なことを学ぶことが園芸の究極であり最も大切な事柄だと私は考えています。

実をいうと私自身植物を育てる事が楽しいこととは思っていません。なぜならば一日一日をみると楽しい事よりも、大変なことのほうが圧倒的に多いからです。特に近年は急激な気象変化にともなって高温、大風、大雪その他自然界の猛威をとことん思い知らされるばかりです。

楽しくないのになぜ続けているのか、儲かるからではと考える人もいるでしょう。私の農場には現在100万本をこえる数の蘭を育てていますが、売品は多くても10万本程度しかありません。あとの90%以上は、私に厳しさや年月を経て花が開花した時の喜び、命あるものをしっかり育てるという責任感の他、たくさんの大切なことを教えてくれる大切な生き物たちで、私はその花たち(園芸)によって育てられたといっても過言ではないくらいです。たとえ植物でも10年20年と自分の手で育てていると、情がわき、うちのワンコたちのようにかわいいと感じるようになります。

世の中には私を好き勝手気ままな自由人と思っている人も多いですが、園芸から学んだ自然界の法則に逆らうような生き方はしません。人間も自然の中の一員であり、自然の法則は人間にとっても絶対的な真理なのです。「植物を育てること」はその自然の法則を体で、全身で学び捉えるという事だと思うのです。このような捉え方をできるようになれば、園芸の素晴らしさに気づくことが出来るのではないかと考えています。

蘭裕園


コラム筆者:山本裕之

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