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ヘツカラン探索記 1985年 文:小川豊明

ジリリーン・・・当時我が家の電話はこんな音でした。夜に電話がかかってくる事は希で、その電話がかかると嫌な予感がします・・・。当たりです、受話器の向こうは現「蘭裕園」社長のY氏であり、必ず「もしもし暇か」と来るのです。そして「来週学校休めるか?鹿児島行くけど誰かいない?」と続きます。大学の授業が・・・といってもY氏には通じません。当時東京農大1年生だった菊山君も強制連行され無理矢理、鹿児島行き、にわか隊員が招集されるのでした。

「番号!1・2・3」翌週の日曜日夕方に千葉を出発。Y氏の愛車、ポンコツ号タウンエースで川崎フェリーターミナルへ、もうすぐ港というところで事件勃発、なんと新車のベンツと接触事故、さい先の良いスタートです。川崎~日向の美々津丸に乗って私と後輩はルンルンでしたが、Y氏は車の事が気になるらしくしょぼーんとしていました。

宮崎県日向には翌日昼過ぎに到着、Y氏は何度もヘツカランの自生地に訪れているベテランです。3人は 凹んだポンコツ号で一路南を目指します。途中鹿屋の知り合い、後藤氏のところで1泊させて頂き、地元の美味しい料理をご馳走になりました。夜になると昼とは違い、桜島のドーンという噴火の音が聞こえ 、鹿児島を実感できました。

3日目、朝から快晴、大隅半島を南へ南へ宇宙開発事業団の実験施設を横に見て、さらに南部の山岳地帯へ、だんだん道も狭くなり、原生林に吸い込まれていきます距離のわりに時間がかかります。辺塚村に着いたのはもう薄暗くなってくる頃でした。そこから村道へ、そして林道へ・・ヘツカランの自生地といわれる地域では、ちょうど山全体の木を伐採しているところで、自然保護と開発の境目を見たような気がしました。山中泊。

山での朝はとても早いです。キャンプでの食事係は年少者の仕事です。谷川から水を汲み、半合炊飯。その後近くの集落へ行くと、小学校があり、校庭の隅の朽ちた遊具「木でできた平均台」の割れ目からなんと、バルブも大きなシンビジュームが生えているではありませんか!始めて見たヘツカランが小学校に同居していたとはたまげました。図鑑では ヘツカランは自生地も少なく、希少種であると書いてある事が多く、まして子供達と一緒に育っていたとは信じられませんでした。集落周辺を歩くと、畑の柿の木、ソテツの幹、神社の楠に木たくさんの蘭が着き、大きな種をぶらぶらとぶら下げていました。なかには花茎を伸ばしている物もあり、もう7日ほど遅く現地入りできていたならば、花にもお目にかかれたと思います。日本にも着生シンビジュームが有ることを確認しました。

倒木上に自生する大株のヘツカラン(Y氏と菊山君)

高さ10mほどの枯れ木のてっぺんに着生するヘツカラン

朽ち木に芽生えたヘツカラン

大隅半島佐田辺塚は、400mほどの山がいきなり海まで 落ちこんでいるような地形で、林道は斜面にくねくねと張り付くように通っていた。落石や、路面流失で非常に危険な箇所があり、橋が流されてしまい丸太が渡してあるだけのところや、ついには軽自動車ほどの岩が道を完全に塞いでいた。前進は無理!車をバックさせようとしたところ今度はタイヤが空転。約半日を脱出作業にかけてしまいました。その日の夕方、別の事件が!菊山君の脇腹に黄色い虫さされのポッチが、Y氏はそれを見て、「そりゃ、ツツガムシにさされたな」とツツガムシ病宣告。Y氏は以前 どこかの島でツツガムシ病をやったそうで、そのときの症状に似ているとの事。菊山君いてもたってもいられなくなり、翌日東京へ帰ってしまいました。そんなこんなのデコボコツアー楽しい土産話を持って約10日間の旅となりました。そして又、「ジリリーンもしもし暇か・・・」の恐怖に恐れおののきながら次会の旅へ続くのでした。


コラム筆者:小川豊明

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