西表・石垣島探検記 [1] ドボン事件 文:那須陽一

1983年(昭和58年)2月末、柴田先輩と私の実家(愛媛県野村町)に寄り旅支度を調え、八幡浜港からフェリーで九州の臼杵港へ旅立つ。JR臼杵駅で松永先輩と合流し、鹿児島へ向かう。さらに鹿児島から船旅で沖縄へ。船では、三線を聞かせてもらい、沖縄の雰囲気を味わうことができた。しかしながら、見知らぬおじさんのオオいびきに悩まされ寝不足。沖縄からも船で石垣へ向かうが、船は大揺れで過酷な一夜であった。石垣からは、漁船のような小さな船で西表島へ向かう。波の先端に船を上手く合わせ、サーフィンのような感覚で船を進める船頭(船長?)さんのテクニックに感動しているうちにあっという間(2時間程度)に上原港到着。到着後、民宿を探し、みどり荘に宿泊。

2月28日、いよいよ西表探検の始まり。縦走道入り口までは、浦内川を遊覧船で向かうのが基本ルートになっていた。船着き場のある浦内川河口はマングローブが生い茂っており、今まで見たことのない景色や雰囲気に感動した。これから始まるジャングル探検に胸を踊らせ遊覧船で軍艦岩(縦走道入り口)に向かう。ここで事件が発生。遊覧船には我々3名の他に某大学の偉い先生方と思われる方々が4名乗船。先生達は船首に陣取り、盛んに高級カメラのシャッターを切っていた。軍艦岩に到着し、船から岸に一人、二人、三人と飛び移った。次の先生もかっこよく飛び移られることだろうと思った瞬間、「ドボーン」という爆音がジャングルに鳴り響いた。びっくりして、視線を向けると、水面から高級なカメラが「ウニョーン」と飛び出し、その後、髪の毛が藻のように水面にたなびき先生の顔が現れた。慌てて船頭さんが、手をさしのべたが、「ここでこけるか?」というよう笑い顔の表情が私には感じられ、笑いそうな自分の顔を平常に保つために顔が引きつって、とても苦しかった。他の先生方は、心配そうな顔をされていたが、船頭さんと同じような表情であった。先生は、自分のことより、高級カメラを盛んに気にされていたが、怪我もなく安心、安心。今思えば、あの頃の自分には、この先生のおかげで、「私たちの探険の厄払いができた」と感謝するような気持ちがなかったようだ。先生、声もおかけすることができなくてすみませんでした。

カメラ水没

その後、マリュードの滝、カンピレーの滝へ向かう。林道沿いには、イリオモテヒメラン、コウトウシランが多く見られ、谷に向かって左斜面の林床には、ユウコクラン、カゴメラン、夏咲きエビネ(リュウキュウ?、ツルラン?)、タイワンアオイランが見られた。マリュードの滝は、大きな滝壺がある壮大な滝で、その滝を見るための展望台も設けられていた。カンピレーの滝は、滝と言うよりは、広い一枚岩の川底自体を指しているようなものであった。そこの川岸には、キンギンソウが多く見られ、極希にダイトントンボソウ?(イリオモテトンボソウ)が見られた。1日目にして、多くの貴重種が見られたのは、ドボーン先生のおかげかも。この日は、カンピレーの滝側で樹木調査のためにキャンプしている東京農工大の院生の方の側にテントを張った。夕食は、ご飯と缶詰、さらに松永先輩御持参の棒ラーメン。先輩達から、ヤマビルのことをさんざん聞かされていたので、雨具などをテント外に置き就寝。二日目は、縦走道沿いの沢を上下しながら散策し、縦走道中間地点で折り返しテントに戻った。レンギョウエビネや大木に付いているリュウキュウセッコクが多く観察できた。希に、薄暗い林床でキバナシュスランが見られビロード状の美しい葉に感動した。

船着場
船着場
イリオモテヒメラン
イリオモテヒメラン
コウトウシラン
コウトウシラン
リュウキュウセッコク
リュウキュウセッコク
レンギョウエビネ
レンギョウエビネ


イラスト:M.Tajima

コラム筆者:那須陽一

「野生のランに魅せられて」へ戻る

「自然人のコラム」へ戻る

ホームへ戻る