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はちゃめちゃ旅日記 – さよならキャラバン

私は30歳までの間に、5台もの車を乗り換えました。こう聞くと筆者のこと金持ちだと思う人もいるでしょう。違います。収入のほぼ全てをランに注いでいた私は、ラン探しの旅の交通手段として仕方なく、今にも壊れそうなボロ車を買っていました。 そしてそれらの今にも壊れそうなボロ車たちは予想通りすぐに壊れていきました。そんなこんなで私は30歳にして5台もの車(ボロ車)のオーナーとなったわけです。これはそんな当時のお話です。

私がまだ20代だった頃の夏の出来事です。アルバイト先の社長に10日間の休暇をもらい、まだ学生だった那須君(現在は澤山君)と二人でサツマチドリが自生する鹿児島県下甑島へ行くことになりました。私の運転で東京を出発した愛車のみどり色のキャラバンは、夕方、運転を那須君へと代わってもらい、名神高速をひたすら走り続けました。後部座席寝ている私に対して、突然「先輩、どうも車の調子がおかしです。」という那須君の声が聞こえたその直後、車内は異様なにおいと熱気につつまれました。なんとか路肩に停車することは出来ましたが、すでにエンジンが焼けついており再び動かすことは出来なくなりました。

実は、東京を出るときにラジエーターホースに穴が開いていたのですが、修理する時間とお金を惜しみ、ガムテープでぐるぐる巻きにして、これでなんとかなるだろう、それでも漏れた時はポリタンクで給水すれば大丈夫だろうぐらいに考えていました。本当にバカでした。

30分後、レッカー車に引きずられた私の車は、大垣インターを出たところの近くの広場にありました。そこで学生時代の同級生の山田君(三重県津市在住)に電話するとすぐに駆け付けてくれて、近くの解体屋まで引いてもらいました。動かなくなったキャラバン、3万円なり。ナンバープレートを外し、山田君の車へ荷物を積みかえ、彼の実家(津市)へ泊めてもらいました。

次の日、那須君と私は早朝の電車に乗り東京へと帰りました。千葉の自宅へ着くとすぐに、中古のシビックを売りたいと話していた友達に電話をして即購入。7万円なり。その3時間後には、再び下甑島へ向け東名高速をひたすら走る私と那須君がいました。

山田君宅で荷物を受け取り、大阪南港へ。そこからフェリーで宮崎県日向港で下船。港を降り、以前下甑島の山中で知り合った熊本県人吉市のカンラン屋さんに会うため、山越えの国道を進んでいきました。この道は国道とは名ばかりで、車1台がやっとで通れるくらいの細道で急カーブも多く危ないことはわかっていました。しかし先を急いでいたためカーブのたびにキキーーッとタイヤ音を鳴らしながら、まるでカーレースさながらで走っていました。山奥にある椎葉村の数軒の家が見えるところの急カーブへ差し掛かったその時です、出合頭に猛スピードで走る対向車に出くわしてしまいました。ここの路面は土手からしたたりおちる水でかなり濡れていたため互いにスリップしながら、両車は右に左にハンドルを切り、最後は奇跡的にも40~50cmの間隔を開けて2台はピタリと並行して止まったのです。

その後も、標識もなく信じられないくらい狭い原っぱの中道を通り、峠越えをして人吉へ立ち寄った後下甑島行きフェリー発着所のある串木野港へたどり着くことが出来ました。 この続きは澤山君(当時は那須君)に書いてもらいます。


コラム筆者:山本裕之

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