台湾ラン紀行 国際スパイ容疑の巻 1984年3月 文:小川豊明

農大文化祭 (収穫祭) で、先輩方が台湾よりたくさんの野生蘭を輸入して販売をしていました。私もほしい! 山の様子を見てみたい! ただそれだけで私の台湾行きは決まりました。

まず、お金の算段です。当時私の在籍していた農業拓殖学科は国内農業実習という物があり、大学と提携している全国の農家に実習に出かけられるシステムがありました。交通費と若干の手間をいただける農家もあり、私は八丈島の「日の出花壇」さんという食虫植物生産、野生蘭販売のお宅に実習に行きました。ここでのお話はまた別の機会としますが、この島も山あり谷ありランあり、良いところです。1ヶ月の実習をし、旅費と10万円をいただき決定です。

八丈からの帰りに神田の格安チケット屋へ直行、価格を比較しそして購入、台湾行きのビザを取得。ちなみに拓殖学科だったのでパスポートは持っていました。出発は3月15日で8日間、10日間のビザという物でした。いきなりの海外一人旅です。

先輩方やY氏を誘おうと思いましたが、いぢめられると怖いので、春休み中で連絡がつかないと言うことで…、一人旅。思いついたら突っ走る性格の私は行動がつい先走る! だんだん旅慣れてきたので、荷物は底なし大袋リュックと根ほり、軍手に着替え3着、カムフラ用のカメラ、パスポート、少しのお金。これだけです。荷はなるべく少なくです。

台湾 桃園国際機場までは成田空港から約3時間、三宅島よりも早いです。ホテルも行き先も行き当たりばったり、取りあえず台中へ行き宿探し、言葉が通じないが、筆談でOKです。何とかなります。2000円ほどの旅社泊。

翌日、台中駅前より日月磹行きのバスを探していると、「あんた にふおんじん」「私のタクシー安全、安い便利…」牛丼屋のごとく、客引きされる。丸一日貸し切りで、山道の案内もする約束で契約成立。5000円ほど。交通ルールはほぼ日本と同じようで、バイクが多いのと、ノーヘルであること、3人乗りは当たり前な事、自作のボロい車が走っている事の他はたいして変わりません。

充分ちがうか? タクシーで山に登っていくと、「あなたの見る物はこれ?」とばかり、ジャングルで停車、藪こき10分くらい木々の中へ入るとアリサンスズムシと思われるものが、そしてキバナノシュスラン? きれいな斑の入ったシュスランが、この運転手知ってるぞ!? バナナの林にはリパリスの仲間が。

するとこのドライバーが○△◇××○とかいって山を上がっていく、そこにはキンリョウヘンと思われる個体があちこちに半着生状態または地面に生えておりました。そこを何も言わないのにガンガン掘っていきハイ! とくれました。

「ハイ次行くね!」また登坂ドライブです。1時間ほど行くと景勝地日月磹に到着、洋蘭業者かと思ったらへごの木に大量のタイリントキソウを植えた山取業者さん、知り合いらしく色々と見せてもらった。値段は言わない、聞くと売りつけられそうなので聞かない。これ、鉄則です。なんか観光旅行になっている様でした。

台中泊

3日目

朝から台湾の東西を横断する山岳ルート便がある事を聞いたので、バスの手配を。とんでも無くおんぼろの山岳専用バス「金馬号」ブレーキに水が出る仕掛けのブレーキ強化バス、カーブのたびに崖から飛び出すんじゃないかとヒヤヒヤしながら、途中の梨山 (リーシャン) へ、この文字記憶にあるぞ! ナシヤマクシノハランきっと有るに違いないと、日本語で「バス停車!」と騒いだところ、降車することが出来ました。しかしこれが後でとんでも無い事になるのです。

梨山は小さな集落で、商店が3軒、食堂が1軒、民家が点在するような田舎の村。一面のリンゴ畑で日本の山村と言ったところ。こけむした木々には 有るんですバルボが、でもムギランを5倍にしたような、小さなシコウランというか、同じタイプの着生ランばかりで、自生ランは見つかりませんでした。

腹ごしらえをして、時折やってくるバスを捕まえようとするが、止まりません! 止まりません! 手を上げても、振っても、運転手さんは軽く手を挙げて挨拶をするようにして行ってしまうので。きっと何かサインでもあるんでしょうが? 言われてみるとバス停なんてどこにもありませんし、乗ってきたバスも途中から乗ってくる人は在りませんでした。そうです、直通便だけの路線だったのです。無理矢理日本語でバス停車! とやったらようやく止まってくれたようです。

仕方なく地図を見ると、15km程先に大萬嶺という分岐があるのでそこまで歩いて行く事にする。ただし標高差1500mも在る、ずーっと登りである。トボトボと歩いていくと、途中すごく良い感じの谷があったので入ってみる、早速緑色の60cm程の蛇がお出迎え。ギョ!!

また一尾根超えると、有刺鉄線の朽ちたものがあり谷があるので危険防止か? 何の疑いもなく尾根道を行く、エビネがある、それも大量に、種類の同定は出来ないが、キリシマエビネのような葉を持っていた。木にはカシノキラン状の着生ラン、リパリス? チケイランのようなもの、が目立ちます。

さて、あまり時間をかけてしまうと日が暮れて、町までたどり着かなくなってしまうので、帰ろうとすると、急に後ろから大きな声で怒鳴られました! 数人の兵隊さん?何か言っている? たちまち私は荷物を取られ、腕をつかまれ、とらわれの身となりました。

どうやらさっきの有刺鉄線は軍隊の演習地の境だったらしく、そこに入り込んだので捕まった? と考えました。ところが違っていました。不法侵入も違反ですが、外国人は山岳公路 (国道) から50m以上離れてはいけないそうで、私の場合500mも入り込んでいたのでした。

当時台湾は中国と準戦時下、スパイ容疑で逮捕、カメラ、パスポート没収……。これはまずいと思っていると、日本語の話せる老兵が来て、尋問攻め、何しにきた…花の写真を……と話し合うこと1時間、何とか許してもらえました。

その後その方が折り目正しい日本語で話されることには、ここは台湾、山、橋、トンネル、鉄道などは秘密事項らしく写真撮影禁止だそうで、私はフィルム3本を没収されましたがそれだけで助かりました。

この日はこの老兵? さん自宅、駐屯地内のアミ族の家で1泊。翌日次の町までトラックで送って (強制送還だったか?) もらいました。死ぬかと思った。足のすくんだ私は、タロコ渓谷観光をし、花蓮より台北へ戻りました。 

5日目

台北の近郊に烏来 (ウーライ) という温泉地があります。ウライタマランの産地に違い有りません。でも先日の教訓を生かし、ビクビクしながらの山行きです。バスを乗り継いで行ってみるとウーライは熱海のような温泉地で、ランどころではありません。

折角なので温泉につかり骨休めをし、そのまま台湾南部の嘉義 (チャーイ) へここから阿里山へ行く森林鉄道があり、なんとしてでもそこへ行ってみたいと思いました。汽車は午前の1本しかなく、仕方なくバスで阿里山へ向かえば、約2時間で到着。阿里山は2450m地点の町 (観光地) 少し歩くと、ゼーゼー10m行くと頭痛が、気持ち悪いは、坂道などとうてい無理! そうです、平地の嘉義からいきなり2400mまで登ってきたものだから、高山病です!!小さな旅社にチェックインしてギブアップ。

6日目

体調も良くなり朝からご来光を見に展望台へ、帰り道懲りない私は、また山へ、トンボソウのようなランは有りましたが、めぼしい物とてなく…ちょっと山高過ぎでしょうか? 10時発の、コンパクトな機関車で下山。汽車では4時間もかかりました。途中入ってみたいジャングルがありましたが。1日1本の列車を逃すと帰国出来なくなる危険もあるのでやめました。嘉義泊

7日目

朝一の特急「呂光号」で台北へ、時間があるので大頓へ、ダイトントンボソウなど地名の着いたランを知っていたので急遽散策へ、良い感じの沢と森林地帯でランには好条件と思いましたが、【毒蛇禁止入山】の立て札がそこら中にあり、早くも戦意喪失。遊歩道から離れられなく、散策程度にとどめてしまった。はっきり言ってまたまた観光旅行となってしまった。

8日目

帰国のため空港へ行くと、予約していたパンナムがストライキ、「停機」と言います。仕方なくマゴマゴしていると、どこかの会社の方 (日本人) が話しかけてくれて、何とかキャセイ航空に変更。無事に帰国となるハズだったのですが、パスポートに何やら違反を記入されていて、成田空港で足止め。しかも隠し持っていたランがバレて検疫にもお世話になりました。とほほ。ちなみに、当時、国として認められていない台湾はワシントン条約に加盟していなく、ランの移動はOKだったのですが、問題は土でした。洗っただけじゃだめで、殺菌殺虫を要しました。夕方には成田に着いていましたが、家 (佐倉) に着いたのは、11時過ぎでした。

教訓

  • 目的を持って行動すべし。
  • 計画を立てよ。
  • 事前に下調べを行うべし。 
  • 外国は日本の常識は通用しない。 
  • 地元の人々に親しみを持って行動すべし。 
  • 迷惑をかけるな。
フンキコオサラン
東西山岳公路にて
リーシャン
リーシャンの山々
キンリュウヘンと見られるラン
タロコ渓谷、谷全体が大理石
大頓の滝
大頓のスミレ
阿里山の郵便局
花蓮の町並み
台北のローカル列車
老兵宅、アミ族の家にて
軍用トラック?
台湾の特急、呂光号

コラム筆者: 小川豊明

「野生のランに魅せられて」へ戻る

「自然人のコラム」へ戻る

ホームへ戻る