初めての三宅島 1983年春 文:小川豊明

初めての三宅島 1983年春

私、農大野生蘭研究会第6期OB小川です。

植物が大好きな私が農大に入学したのは、1983年今から32年も前の事、クラブの勧誘で何気なく覗いたのが、30年以上熱中する事になる野生蘭の研究会。クラブハウスになにやら怪しげな、そしてとてもマニアックな植物を並べ、聞いた事もない蘭の名前を得意げに語る面白そうな先輩方、吸い込まれるように即日入会。その日から私の人生は大きく変わってしまいました。大学の授業では大好きな農学。そして朝、昼、夕にはマニアックな専門集団、いつの日か私もどっぷりと蘭の世界に浸かってしまいました。同期の仲間も5人、総勢18人の後に野生蘭の一大勢力を作る仲間でした。

当時東京では、新宿や渋谷のデパート、そして繁華街の路上で野生蘭を販売する、地方のおばちゃんが居て、山取の蘭が山と積まれており、珍品を探すのも楽しいショッピングでした。そんな時、エビネコレクターのN先輩が、「5月の連休に三宅島に行くぞ!」と1年生の私とI君の2人に告げ、船の予約・民宿の予約などを仕込まれました。今思えば何でもない事ですが、知らない土地にしかも原生林のある島に連れて行かれる。木に登らされる、荷物持ち・・・・不安でした。観察旅行当日、言い出しっぺの先輩は授業の都合で、1日遅れで合流するとの事で心細い1年生だけで出発です。その頃の東海汽船は三宅・八丈方面ストレチア丸という貨客船、比較的大きな船でしたが、東京湾を出ると右へ左へ上に下に大揺れで、2等客室の灰皿は端から端に転がっていました。当然私達も??!!でした。

オサラン
セッコク

朝6時三宅島「錆が浜港」着。野生蘭研御用達の民宿きむらのおばちゃんに迎えにきてもらい何とか上陸。早速坪田林道へ、ここは蘭研の先輩達が卒論などで調査していた地域で、おおよその目安は着いていましたが、先輩から書いてもらったマンガちっくな絵地図を頼りに、山の中に都道からしばらくは牧場になっていて、明るい草原。高さにして150m程登ると大人5人でも抱えきれないような大きなスダジイの原生林になっていました。と同時に林床にはシマササバラン・オオシマシュスラン・ハチジョウシュスラン・エビネ・シュンラン・コケイラン・ウインナーソーセージのようなツチアケビ・ユウシュンランがいたるところに有り、大きな池を遥か下に望む所ではセッコク・ナゴラン・ヨウラクラン・オサランが自生していて、ランキチになっていた私達はパラダイスにいるようでした。1983年春の事でした。

それが、あの大噴火の4ヶ月前の事です。続きは又次回。


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コラム筆者:小川豊明

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