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私が覗いた「屋久島」編 1983年8月 文:小川豊明

つらいながらも楽しかった甑島を後に、次の目的地、屋久島へ

つらいながらも楽しかった甑島を後に、次の目的地、屋久島へ この島は4年生のおじいちゃんこと、松永先輩(後に九州農政局)が卒業論文のために植生調査をしている島でもあります。今考えると、とてつもない規模の調査であり、かなり無謀ではありますが蘭の魅力に取り憑かれるとこうなってしまうのです。鹿児島港からフェリーに乗る事6時間?その島は突然目の前に現れます。それまではいくら前方を見ていても海また海なのですが、実は屋久島は水上アルプスとも呼ばれるように、標高も高くもやの中から突然目の前に現れ旅人を驚かせます。目の前に突如現れた瞬間そのとんでもないでかさに感動を覚えます。とんでもなくでかい島! 宮之浦港で下船し、車で南へと向かいます、途中、安房(あんぼう)の橋の上から見える宮之浦岳は圧巻でした。何もかもが目新しい風景ですが、そのうちモッチョム岳という巨大な岩肌が天にまで昇るような山が見えてきました。先輩はあそこに登るぞ!と。私は嘘だろ!と思いましたが、なぜか車はその山の麓、千尋(せんぴろ)の滝へ。駐車場は整備されていましたが、木の下では、なぜか木の下だけは一面にコケが生えていて、その中に葉に特徴のあるヒメトケンランがたくさん群生していました。

モッチョム岳

千尋の滝

この日はこのやまの麓でキャンプです。遊歩道の周りを散策してみると。ランと思わしき植物の、まあ多い事多い事。楽しみな所です。

リュウキュウエビネ

ツルラン

屋久島二日目、この日はモッチョム登頂かと思われたが、天候不順のため尾之間集落へ、ここには小さな温泉があり、その裏山にハイキングコースがありました。蛇之口の滝方面とある方向に探索。温泉からまもなく、頭上に猿の群れ、きーきーと叫びながら人の拳程の大きさのリンゴ椿の実を投げてきます。大変危険です!命中すれば一巻の終わりという感じです。そんな中を逃げるように進む私たちを、追いかけるようにして彼らもついてきました。そうこうしているうちに今度はヤクシカが近くの森からピーピューと威嚇してきます。きっと野生動物たちのパラダイスなんですね、自分たちの領域に人が来たモンだから怒るのも無理はない事。 鹿の攻撃を避けるため道から外れ大きな渓谷沿いを進むと有りました、着生ランです。川に張り出した木にベローンと着いているチケイラン・オサラン・オオオサラン・そしてキバナノセッコクまでありました。何より目立つのがオオタニワタリ、樹上に着生するシダですがその存在感はたっぷりです。

谷川沿いに登っていくと、しめった岸辺にはヤクシマランやツルランが多く見られ、またリュウキュウエビネと思われるエビネも開花しています。そしてトクサランは辺り一面に雑草のように生えていました。ハイキングコースはその先の蛇之口の滝で行き止まりです。帰りははんたい側の斜面を帰りました。

この日のキャンプは旧道の橋の上、風通しが良く涼しい所でした。 屋久島3日目、天候も回復しモッチョム登頂!朝早くから準備をし、一昨日の千尋の滝駐車場よりナヨタケ遊歩道へ、ところがこの道ゼンゼン遊歩ではなく入り口から根性で登って30分は道でなく、木の根が岩に絡みついた階段状、はしご状態の超急斜面、普通の民家の階段よりきつい道?で標高300m程を一気に登ります。油断するとアッツ!ズルッ!!ドドッド!!!といきます。

「ナヨタケ遊歩道」行程表 地図にはあっても道がない!?

標高450mを超えると、屋久杉と呼ばれる杉の巨木が出てきます。とうてい登れるようなモンではありませんが、よく見ると高さ10m程の所に花を付けたツリシュスランがありました。しかし収穫まではせずに、望遠レンズを使用し撮影をしました。ところが後日現像をしてみるとなんと極度のピンボケ?記憶に保存となりました。 私たちはあふれだす大汗をぬぐいながら、ひたすら登っていくと、ササ藪の先に突如岩肌が現れ、やせ尾根の先には頂上か?そこには丸みをもった大きな岩がドンと鎮座しておりました。岩の割れ目を頼りにそこにたどり着くと小さな社があり、江戸時代のもの!?と思われる時代の古銭が散らばっていました。

山頂直前のやせ尾根、写真岩の半ば左側白骨化した杉の木にはセッコクが着生していました。何と強い生命力なのでしょうか。彼らとは違い私は死にそうでした。 登りはかなりきつく、帰りは楽々!…のつもりでいたのですが足もとの悪い山岳遊歩道は危険がいっぱい。下りなのに3時間以上かかってしまいもうへとへとです。 翌日は朝から南西部の集落へ、以前は屋久島一大きな村だったそうですが、私達が訪れた時にはかなり寂れた村でしたが、そこには現「蘭裕園」社長のY氏が学生時代にタネガシマシコウランおよびヒメクリソランを発見した山があり、私達もその場所を目指しひたすら歩きました。Y氏に書いてもらった手書きの地図は、岩の形やその向きまでもがとても正確で、山の尾根や谷の向きなどの他、大きな木にいたるまで、よく記憶しているモンだと感心させられました。 この地図のおかげでY氏のコラム、「タネガシマシコウラン編」に書かれている「地面から10M位まで下枝がまったく無い電柱のようにまっすぐ伸びた木」がすぐにわかり、足下にあるといわれたヒメクリソランにも気をつけながら、その電柱に挑みました。ところがこれが大きな誤算!5M程登ったところで、しがみついている腕の上にとてつもなくデカイ毛虫がボトンと落ちてきました。私は他の何よりもコイツが一番嫌いなのです。信じられないとは思いますがその瞬間に手を離してしまいました・・・・。

ドーン!

その後は戦意喪失、オマケにカメラも下の岩に激突そしてクラッシュ。先輩達には大笑いされこの時は散々だと思いましたが、今でもあの時目にした2種類の幻のランと毛虫の顔は、今でも私の頭の中のハードディスクに若き頃の思い出として鮮明に保存されています。 ちなみに、この谷ではオオオサラン、岩にびっしりと着いたミヤマムギラン、大型でたくさんの花をつけたツルラン、ホシケイラン、トクサランの他、シュスラン類もたくさんあり、まさにランたちのパラダイスでした。ふと気がつくとクツの中にはこれまた大量のヤマビルが何匹も入り込みそれはすでに大きく膨らんでいました。また卒倒。私は山には向いていないのかもしれません。 長かった山行も終わりにして、翌日のフェリーで帰路につきました。その後、鹿児島から宮崎日向へ向かい、那須先輩に日向駅まで送ってもらった私は、そこからは夜行列車で東京へと戻りました。 この時の出来事は今ではすべて良い思い出です。


コラム筆者:小川豊明

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