ナゴラン捜索記 文:小川豊明

学生時代のサークル「東京農大 野生蘭研究会」は、全国からラン好きや、花好き、虫好きが集まる一大サークルでした。北は岩手県から南は沖縄県まで各地の専門知識を持った専門的な学生集団でした。そんな中、初の?女性会員が3名入会し、会にも活気が溢れたことを覚えています。その中に沖縄県名護市出身のIさんがいました。彼女は南の島出身のためか、合宿でどこかの島に行き、キャンプをした時など、ヤシの木陰でお昼寝をしてしまうなど、明るく楽しい会員でした。野生蘭研究会のメンバーであれば、誰でも一度は行ってみたい沖縄出身、実家は名護とうらやましいばかりでした。

若かりしの頃の私

私達は各地でそれぞれの地域にある植物や、ランの自生地をまわり自生写真を撮っていましたがナゴランとなると、写真はあっても伊豆諸島や鹿児島県の物ばかりで、名前の由来になった沖縄県名護岳産の株を見たことがありませんでした。これは絶対見に行くしかないと思い、1991年の春にナゴランを探しに行くことにしました。大学を卒業していたIさんにお世話になり、車を貸していただき、山近くの宿の手配までをお願いしました。

3月とはいえ、やんばるの気候はもう初夏、少し歩くと汗ばんできます。それよりハブが出ないかと冷や冷やしながらの行進でした。到着後、名護の街入り口にあるヒンプンガジュマルへ、ヒンプンとは屏風の意味で、街の入り口の守り神のことだとか。市街地入り口の道の真ん中にドンと鎮座していました。

ボウラン

大きなガジュマルの角を曲がると、目指す名護城(なんぐすく)跡へ、いささか観光地化された長い階段を上っていくとありました、リュウキュウボウランです。寒緋桜の木にちょこちょこと着生していました、見上げると別の木の遙か上には大きな株もありました。

ところでナゴランは?と言うと、無いんですね。名護岳を歩き回ること2日、ハブが出て来ないことを祈って、谷の底から上を向いて口あけて・・。有りそうでない場所でした。本当にあるんでしょうか?雰囲気はありそうな感じがしましたが、水が少ないなという感じでした。

ひんぷんがじゅまる
ひんぷんがじゅまる

3日目、名護岳をあきらめて、カツウ岳方面へ、本部半島を縦断する街道の中ほど、テッポウユリがたくさん咲いた谷間から挑戦、頂上に自衛隊の基地と思しきアンテナが見え隠れする北向きの谷、頭の中ではハブ、ハブ、来るな!そんなかけ声をかけながら斜面を登っていくと、対岸の大きく横に張り出した枝に小さな見慣れたナゴランがありました。想像以上に小さな株でした、望遠レンズを使っても小さくしか写らないような株でしたが、紛れもない名護のナゴランでした。

名護のナゴラン 名護のナゴラン

コラム筆者:小川豊明

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