スズムシソウを探して樹海へ 文:小川豊明

1985年 (昭和60年) 初夏

昭和60年初夏、日航機の墜落事故のあったあの年、Y氏からいつものように電話があり、富士五湖周辺にスズムシソウの写真を撮りに行こうと言うことになりました。富士五湖というとサマーキャンプや紅葉を見に行ったことはありましたが。山の中となるとチョットちがいます。

聞いたことあるでしょ!あれですよあれ!富士の樹海のことです。そこに行こうと言うことでした。本当はいやだな?怖いな!と思いましたが、Y氏には通じません。すぐさま茶色のポンコツ号にカメラ・三脚、カセットコンロと底の抜けそうな飯ごう、あり合わせの食材を詰め込んでイザ出発です。

千葉から富士まではほんの3時間少し、どこの山に行くのかと思っていたら、やっぱり樹海でした、観光道路はよく整備された道でしたが、脇道はと言うと、車が入れないように、砂利がうずたかく積まれていて、どこも進めそうにありません。きっと自殺願望の人が容易に山に入れないようにしているのだと、私は感じました。しばらく行くと、なんとか車が超えられるような場所があり勢いをつけて、ジャンプするように車を山道に入れ先に進みました、その先の道は火山灰でガラガラの砂利道で、細く曲がりくねった難所で、覆い被さった大きな木々と、大きな岩が転がるまさに富士の樹海そのもので、湿った風と苔の匂いが漂っていました。

しばらく行き、この辺で探してみようかと言うことになり、荷物を下ろし簡単な身支度をしました。命綱にしようと準備していた100メートル分のテープ3巻のうち1つを命綱として車にくくりつけ、いよいよ山の中に入っていきます。Y氏はずんずんと山の中を進んでいくので私も置いて行かれないように、必死に後を追いました。道中はまさに道なき道で、大して進まないうちにあっという間に200メートル分のテープが尽きてしまいました。これはまずいと思い、最後のテープ1巻は短く切り、樹にくくりつけ目印にして進むことにしました。

ハッキリ言って、この時すでに方向の感覚がマヒしていて、どちらを向いても同じに見えてしまい、どっちから来たのか、解らなくなっていました。本命のスズムシソウはと言うと、似たような、クモキリソウは確認できましたが、辺りが暗いのか全くと言って有りませんでした。そうこうしているうちに、何となく暗くなってきたような感じが?Y氏、ダメだ暗すぎてここは無いな。他を探そう!・・・。今来た道を戻ろうと思い目印のテープを探しますが見当たりません・・・。方向を確認しようとコンパスを見ても、岩の方向を指して不自然な動きをし、グルグルと回ってしまいます。慌ててはいけない、と思いながらも二人とも焦りに焦っていました。ここに足跡が有る!この枝は折れている、この岩には見覚えがある・・・とか言いながら元来た道を、そして茶色のバンを探しました。来る時は気にもしなかったのですが、山の中に結構ゴミが落ちていて、靴やブルーシートの切れ端、古い空き缶などが目に入って、もし骨を見つけてしまったらどうしよう?と考えてしまい、パニック寸前でした。こんな時、頼もしいのが、やっぱりY氏。近くの大きな木に登り、富士山の方向を確かめて、進む方向を指示してくれました。暫くして林道に出ることができ、野宿だけは回避することができました。車へ戻ると、遅い夕飯の準備です。懐中電灯の光が届く範囲から出るのが怖く、チョットした物音にも過剰に反応してしまいます。ビクビクしながら夕飯をすますと、二人とも人の居るところに行きたくなり、車を動かしましたが、狭い一本道で、方向転回できるような場所が無く、暗い山道をバックで走るなどできません、結局その場で朝を待つこととなりました。

長い夜でした。朝もやの中、早く人の居るところに行きたくて、車の窓から身を乗り出して、延々バック走行、国道まであと20m程の所で緊急事態!砂利の山がどうしても越えられないのです、山道に入る時は、国道から勢いをつけて砂利山を越えたのですが、バックで山側から勢いをつけるとはできません。砂利の上で亀になりそうなポンコツ号を、揺すったりタイヤに木の枝を挟んだり、2時間くらいもがきました。昼前、近くの茶店でうどんをかきこんで、逃げるように帰路につきました。

あとから聞いたことですが、スズムシソウを見に行くなら、樹海ではなく湖周辺の山林の方が良かったようです。迷子になる心配もなく、怖い物にとり憑かれることもないようでした。

スズムシソウ
スズムシソウ(栽培品)

コラム筆者:小川豊明

「野生のランに魅せられて」へ戻る

「自然人のコラム」へ戻る

ホームへ戻る