ジモトノジエビネ 文:小川豊明

地元の地海老根 - 千葉県佐倉市 1970年春

私は、生まれこそ東京の下町 向島ですが、幼稚園の頃に現在の千葉県佐倉に引っ越してきました。その頃の佐倉はハッキリ言って田舎の町で、鉄道こそ国鉄総武本線、私鉄の京成電車が東京とを結んでいましたが、道路は酷く、当時佐倉の街はジャリ財政とか言われ、ぬかるんだ砂利道の穴を埋めるためのジャリで街の予算が無くなるほどの貧乏なところでした。当然私の村「本村」にはアスファルトの道などあるわけがありません。日に数本のバスでも通りかかろうものならブアーと砂埃を立てて行ったものです。

子ども達の遊びも今とは大きく異なり、村中の子どもがいつも一緒になって遊んでいました。新参者の私はいつも一番後ろ、でも当時中学2年生だった一番年長者のフミちゃんは別でした。よくかまってくれて、小川や、林に連れて行ってくれ、タガメやチョウセンビタ(チョウセンブナ?)の捕り方、山でゼンマイやハツタケの有るところを教えてくれました。

ジエビネ探しで迷子

私が小学校1年生になったばかりの5月、村の子どもみんなでワラビを採りに村の林に入った時のこと、明るいマツ山にたくさんのワラビやゼンマイがあり、われ先にと採り進んでいくと、チョットした段差があるところに行き着きました、上級生はその段差をよじ登って行きますが、小さな私はその土手が登れません。なんとか上れるところを探しているうちに、みんなとはぐれてしまい、ひとり置いて行かれてしまいました。こうなるとパニックです!来た林をひたすら走って戻ろうとしますが、そうはいきません、たちまち迷子になってしまいました。今度はなぜか明るい方に行ってしまい、茅葺きの屋根が見えホットしたのもつかのま、そこは見たことのない村でした。その時、林と田んぼの境目の土手近くに茶色っぽい花の草がたくさん生えていて、気持ちが悪い草のことを覚えています。

月日は流れ高校生になった時、以前にも書いた生物の先生に出会いました。そこでエビネやミヤマウズラ、トンボソウを教わり、千葉の房総半島奥深くまで出かけていくようになりました。そして小さい頃自宅近くで迷子になった林のことを思い出し、もしかしてとヤブこきをしながら行ってみると・・・?そうです、やっぱり幼い頃迷子になった林、田んぼのまわりで見た草はまぎれもなくジモトノジエビネでした。小さな三枚葉、人差し指ほどの冬至芽、明るい林にたくさん群れていました。 あれから45年、今では新興住宅地になってしまい、あの頃の面影はありません、もちろんエビネの姿もありません、時折車で通りかかると思い出します。幼い頃迷子になった山の思い出、あの茶色のエビネは心の中に咲いています。


イラスト:M.Tajima

コラム筆者:小川豊明

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