サバイバル日記 【山崎功実 - 徳之島~奄美大島編 1】

天国から地獄

1981年3月のことです。

私は、西尾さん、山本さん、南條君の旅に約20日遅れて合流しようと、那覇の港まできました。実は東京から沖縄まで来る途中の船の中で知り合ったキュートな女性に大盤振る舞いをして散財してしまい、那覇についてふと財布の中を見てみるとわずか一万円しか残っていませんでした。

キュートな女性に散財

しまった!と思いましたがあとのまつり。頑張って言い訳を考えましたが思いつかず、正直に話したところ、 「お前これから奄美大島であと2週間の生活、さらに東京に帰る船賃、いったいどうするつもりだ!」 と山本さんにこっぴどく怒られました。まあ、昔の事なので許してください。とりあえずこの時はあとで考えようと許してもらいました。

次の目的地は奄美大島。そこで2週間滞在する予定です。 途中、船の中で銅乱を肩から下げた植物の研究者風の人と会い、少し話をしました。彼らが言うには、一週間前に徳之島に立ち寄ったところ、たくさんのトクノシマエビネが咲いていたらしいのです。これを聞いた私達三人は、よし行ってみようということになり途中の徳之島で下船して、そのたくさん咲いていたという犬田布岳を目指しました。

私たちは、地図上で最短距離にあるバス停で降りました。ところが山に向かう道は見つからず、貯水池の脇の草むらをかきわけかきわけ、山頂方向を目指しました。どんよりとした天気の中、やっとの思いで山裾あたりまで来ると、遠くの方に大きなトクノシマエビネが10数株かたまって咲いているのが見えました。初めて見る自生のトクノシマエビネです。私は一目散に飛びよりました。その時ばかりは、このあたりに世界で一番俊敏な毒ヘビであるハブがいることも忘れていました。まあ、山本さんが言うには、今日は寒いからハブはでない、そんなにびびらなくても大丈夫ということなので私たちは安心して探索していました。

自生するトクノシマエビネを見て期待がふくらんだ私たちは、さらにきれいな株を求め、尾根伝いにがさ藪をかきわけ4時間ほどかけて山頂を目指していきました。トクサランやレンギョウエビネに混ざり、あちこちに点々と咲くトクノシマエビネを眺めながら、苔むした大石が転がる上を進んでいきます。斜面が少しゆるやかになって、山頂に近づいた頃でしょうか、突然前を歩く山本さんが「ぎゃーーーーーーーーーーっ!!!!」とものすごい悲鳴をあげました。なにやら必死で「棒を持ってこい!!!」と叫んでいるので、その辺の1メートルぐらいの棒をもっていったところ、「こんな棒じゃ役に立たねえ!!!!もっと長いのもってこい!!!!」と怒鳴られました。なんとハブと格闘していたのです。山本さんは自分の持っていた棒で暴れるハブの首根っこの下の方を押さえ込むので精いっぱいで、ハブは大口を開けていまにも飛びつきそうな様子。私も南條君も気が動転してパニック状態で、南條君にいたってはかたまってしまい動けないありさまでした。

ハブとの格闘

てんやわんやになりながらなんとか代わりの太い棒をみつけ持って行ったところ、今度は袋を用意しろ!!!とのこと。3人がかりの必死の格闘の末、なんとか袋に突っ込むことが出来ました。まるで爆弾処理班になったかのような気持ちでした。こわいのでもう一枚袋をかぶせ2重にし、棒の先にくくりつけてなるべく体から離すようにして運びながら先へ進みました。

そのまましばらく進んでいくと山頂らしきものが見えたので行ってみると、子供でも歩けるような綺麗な道があるじゃありませんか。なんと山の反対側に整備された登山道があったのです。ちゃんちゃん。 もう今日は早く帰ろうと3人で話し合い、早々に下山しました。ふもとの広い道まで来ると運よく軽貨物が通りかかったので、それに乗り亀徳港まで戻りました。

徳之島のハブ
182センチのホンハブ (徳之島のフェリー乗り場にて 一番左が私)

そこで例のハブを袋からだしていじったり瓶にいれたりしていたところ、フェリー営業所の所長がそれを見つけ近寄ってきて「こんなにでかいヤツは何十年も見てない」ととても驚いた様子で言われました。近くを通りかかったフォークリフトの熱に反応し瓶の中から何度も飛びつく、その大口のでかいことでかいこと、30cm近くありました。フェリー窓口のお姉さんには「ハブを持ったままの乗船は出来ません。」と厳重に注意されたのですが、うまくやり過ごし乗っちゃいました。

次に向かうのは奄美大島です。

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イラスト:M.Tajima

コラム筆者:山崎功実

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