あっ、無い!三宅島のラン 文:小川豊明

1980年代 小川豊明

 私の学生時代、ちょうど日本全国で野生ランのブームがありました。 大学でも野生ランのサークルや、植物関係のサークルが勢いづき、盛んに活動していたことを覚えています。 私も東京農業大学のTUA野生ラン研究会に入会し、先輩方の後ろをついて回ったことを昨日のように覚えています。

 当時、現在の蘭裕園社長山本さんらが創設したこの会では、全国から沢山の会員が集まり、各地の植物を収集したり、栽培技術の確立に力を入れていました。 そして、大学の文化祭(収穫祭)では、学生達が栽培したラン、その他の増殖苗や余剰株を持ち寄り、また、海外からランの苗を買い付け販売し東京ドーム世界ラン展さながらのラン展示・販売ブースがありました。そして学生達が全国の山々で撮影してきた、ランの自生写真をパネルにして、学術展示を行って大盛況をおさめていました。中でも南西諸島や鹿児島の島々のまだ見たこともないランの写真には趣味家はもとより、研究者もうならせる物がありました。

 私もまだ見ぬランを求めて、関東地方や南の島々に行くようになり、ランの自生する環境や、島々に特別な思いを感じるようになりました。それはどこへ行ってもランの生えているところではチェーンソウの音が響き渡り、大きな原木を積んだトラックが走り回っている。山仕事をしている方々は、木そのものに価値を見いだし、下草やまわりの環境にはあまり・・・と言うか関心がないように思え、裸にしていった山肌はしばらくそのまま放置、ガサヤブとなっていました。 当然直射日光に弱い下草は死に絶えていき、偶然にも灌木の下に残った物だけが細々と生き残っている状態でした。 着生ランなどはみんなチェーンソウの餌食になり、山から姿を消していきました。 もうこうなると再生はしません。なにしろ木がないのですから、森林のたっぷりあった湿度が無くなり、日陰が無くなり、ランたちが暮らす場所そのものが無くなり、その地域から完全に耐えてしまうことでしょう。

 私も、新入会員を連れて関東周辺の山々や伊豆の島へ合宿を巡ったことがあり、1年生に興味・関心を持ってもらおうと、春の三宅島に行った時のこと、島の南部坪田と言うところに「民宿きむら」という野生ラン研究会のみんなが通った民宿をベース基地にわいわいがやがやと近くの山に行きました。この場所は先輩達が植生調査などで調査していた場所で、山の様子や、どんな植物が見られるかなど、初体験の新人でもわかりやすい場所でした。 しかし昭和58年の三宅島雄山の噴火で大量の火山灰が降り積もり、何百年も生きていたスダジイまでもが枯れてしまい、山の中はおおきく変わり、道ばたから見られた沢山のランたちも見られなくなりました。昭和59年に噴火後の植生調査をした時に、山陰になる地域に、わずかながら生き残っていたランたちを発見し、見守っていくつもりでした。

 新入生歓迎合宿でその場所を訪ねると、「あっ!無い!!」つい数ヶ月前まではまだ野生の状態でセッコクやナゴランが着生し、ヤブの中にはシュスランが見られた数々のラン達がどこかに行ってしまったかのように、みんな消えていました。 大きなスダジイの幹には何かで刺したような傷跡が。 20cm程の枝はノコギリで切られたような後が、かなり大がかりな盗掘にあった模様でした。 木を見上げるとナゴランの根がまだくっついた状態で風に揺られていました。 後輩達は、さぞくやしい思いをしたでしょう。 私も同じく、島のランがすべて無くなってしまったかのような錯覚にも思えました。


コラム筆者:小川豊明

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