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少しだけの寄り道があだとなり悲劇へ...

屋久島でタネガシマシコウラン、新種? の地生ラン (ヒメクリソラン?)、大群生するオオオサランなどを見つけた帰りのフェリーの中で、せっかく鹿児島まで来たのだからもう少しランの自生地を堪能してから帰ろう。と思った瞬間、「そうだ! 佐田辺塚ヘ行こう! この時期ならヘツカランが咲いているかもしれない!」とひらめきました。 しかしこの時の判断が後に、私を襲う悲劇へとつながるのでした…。

ありがとうハスラー250ccそしてさようなら。いったい何が…?

鹿児島港へ着岸したのはすでに夕方でした。そこからは桜島を右手に見ながら鹿児島湾をぐるりと回り、姶良、国分、垂水へと来た頃には夜8時を過ぎていました。この時、桜島が頻繁に噴火していて、更に走る車も降灰をまき上げるため、フルフェイスの間から大量の火山灰が入りこみ、目の中がジャリジャリになりもう耐えられません。

道路わきに放置されている1台のポンコツバスを見つけ、ここを一夜の宿にしました。 翌日、早朝からバイクを飛ばし、大根占を通り、佐田辺塚へと向かいました。部落へと続く急坂を降り、しばらく行った所にある小さな港をのぞくといきなり目の前には、直径1mを優にこえ、200~300バルブはあると思われる、ヘツカラン (シンビジュームダイアナム) の巨大株が半枯れした大木にガッチリと根を食い込ませるようにして自生していました。ちなみに、私が過去に見てきたヘツカランのなかで一番の大株で、大きなラン展などでも一番がとれるくらいの迫力でした。残念なことに、この株の写真はありませんが、場所が場所だけにこの株を見た人はたくさんいることでしょう。 あの株は、今どうなっているのでしょうか?

港をあとにし、くねくねと続く坂道を上がり、はるか下の方に海が見える林道を通りしばらく走ったところでバイクを止めて谷間をのぞくと、思った通り頭上には下垂して花を咲かせるシンビジューム (ヘツカラン) の姿があちらこちらで見られました。 帰り道、行きに登ったくねくね坂を降る時、エンジンからはわずかながらキリキリと、今まで聞いたことがないきしみ音が聞こえてきました。すぐにオイルの残量を確認しましたが、この時点では問題なし、その後、鹿屋市の後藤さん宅へ立ち寄り、日向から川崎行きフェリーに乗るため、帰り道を急ぎました。

その日の午後、鹿屋を出て曽於郡あたりまで来ると、それまで小さかったはずのきしみ音がいきなりキリキリキリという大きな異音へと変わると、間もなくバイクのエンジンは止まってしまいました。 単車が好きで、これまで取っ替え引っ替えこれで7台も乗り替えしてきた私です。 当然の事ながら何が起きたかはすぐに理解することができました。この時のバイクはハスラー250cc、乗り慣れたバイクでしたがお別れです。これが私が乗った最後のバイクでした。さようなら、涙…そして最後にありがとう。翌年再びこの地を訪れたとき、放置したハスラー250ccの姿はすっかり消えていました (笑)。

ハスラー250cc

その後、迷わず (すぐに) ナンバープレートを引きちぎるようにもぎ取りリュックサックに詰め、荷台にくくりつけてあった木箱をかかえてバス停までかなりの距離を歩きバスを待つこと数時間。やっとの思いで都城駅へたどり着きました。 そこで時刻表を見ると、フェリーの出港に間に合う電車はありません。実はこの時の私は、2週間を越える一人旅といろいろな試練に合い、寂しくて寂しくてもう寂しくて少しでも早く東京 (家) へ帰りたいという気持ちでいっぱいでした。仕方なしにタクシーを飛ばし日向の港へ向かいました。

夕方で道はかなり混んでいたため、私がみみつ港に着いた時、目の前にポーッという警笛を鳴らし東京へ向け桟橋を離れていく船の姿がありました。 このとき涙がチョチョギレた私ですが、その後まよわず1時間後に出港する関西行きフェリーに乗船し、大阪南港で降りて、地下鉄と新幹線を使い帰ることにしました。 おそらくこの時、背中には大きなリュックサック、前には飯ごうやコンロが入った木箱をかかえた、ヒゲづらで汚らしいお兄ちゃん (22才) を見た大阪の町の人たちはさぞかし驚いていたことでしょう。実際東京に着くまでの間に、電車の中でたくさんの人に「どこへ行ってきたの?」と声をかけられてしまいました。

あれから35年、今となってはすべて良い思い出です。


コラム筆者: 山本裕之

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