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プラントハンターアジアへ行く! プルチョウキ山編 文:小川豊明

このコラムは、著者が約35年前ネパールを訪れた時のことを書き綴ったコラムです。そのネパールで2015年4月25日で未曾有の大震災が発生しました。大震災の被害に被られた方々に深くお見舞い申し上げます。また命を落とされた多くの方に心から哀悼の意を表します。震災の被害に被られた方々に一刻も早く笑顔がある生活が戻るようお祈りしております。

ネパール探訪1986年5月~87年2月

ランに興味を持ち、東京農大に進学。そこで出会ったのが「野生蘭研究会」そしてどっぷりと蘭にはまってしまった私。Y氏に日本各地の山々に連れて行かれて、蘭と出会える環境や、地域、そして数々の珍しい蘭を教えて頂き、私も「蘭熱中症」に完全に感染してしまいました。日本国内では飽きたらず、台湾遠征へ、しかし短期間の遠征では、自生地の場所や交通、地域の人々との交流、その土地のルール・・・たくさんの掟があり日本の文献ではなかなか解らない事があります。そこで私は大学の単位取得と国際貢献をかこつけて、ネパール王国に海外実習へ行く事にしました。心の隅のどこかに、Y氏のニオイエビネ発見記!があり、日本では見られなくなってきたエビネ、それもヒマラヤのニオイエビネを見たい、撮りたい、持ち帰りたい・・・との思いから実習先をネパールに決めました。

そのころ日本の文献には、ネパールの蘭と日本の蘭が、遺伝的に極めて近い物があるとか、自生地分布に、本州以南、それと遠く離れてヒマラヤ地域 などと書かれた蘭の本が多々ありました。蘭に取り憑かれた者としては申し分のないところでした。約半年かけて下調べ、現地の大学や、青年海外協力隊の方々と連絡を取り合い、準備万端。 実習先はカトマンドウ盆地のJICAの隊員の方のところにお世話になり、子供達に混ざってネワール語の研修、ビザの延長・居住申請・国際免許証の申請等を行い、1人で暮らしていけるようになりました。 さてランは、と言うと、カトマンドウの街の街路樹、ちょっとした木には必ず着生ランが自生しており、ランの国という感じでした。

カトマンドウ周辺のラン

カトマンドウ盆地は標高1200m程、北にシバプリ山、南にはプルチョウキ山があり、東と西側にも標高2000mを超える山々があり、ぐるりと山が囲んでいます。ちょうど、甲府盆地を一回り小さくしたような感じです。

カトマンドウの街路樹に着いたラン

東側から西を望む カトマンドウ盆地

ある日、地元のタクシー運転手さんと仲良くなり、仕事のアイテム、オート三輪テンプー号を借りて盆地の南側にそびえるプルチョウキ山2780mを目指しました。 山の麓の村ゴダヴァリまでは比較的道も良く、スタックや迂回もありませんでしたが、登りにさしかかると、オート三輪ではどうにもなりません!車を大きな木にロープでくくりつけて駐車です。やっぱり山は自分の足で進みましょう。

山にはいるとすぐにラン・らん・蘭、地元の方に聞くが、「それは草!」とか、「花!!」としか教えてもらえず、逆に「そんな物どうするの?食べられないよ!奥さんに怒られるよ!」と笑われました。植物、それも花には興味が無い模様でした。

それでは、私が見てきた蘭たちをご覧下さい。

一日ではとうてい見て歩けない山ですが、地元の方が使っている道のすぐ横からたくさんの蘭たちを見る事が出来ました。日本でいうならばシュンランか、カンランの様な蘭が道の轍にまであり、また山の上部では、ヒマラヤニオイエビネと思われるエビネまでもが、道にありました。着生蘭はセッコクの様な物、オサランやフウラン、ボウラン、クモラン状の物がそこら中の木にありました。苔むした大きな木に、地面すれすれからてっぺんまでびっしりと着生蘭があり、それぞれ上部、中間、下層と様々な蘭が住み分けていました。

そしてこれから、暇を見ては通う山になりました。ホームグラウンドです。 <次回予告> ポカラ近郊の蘭。


最近ネパールで未曾有の大災害がありました。亡くなった方々のご冥福をお祈りすると同­時に早期の復興と発展を願っています。 私は1986年~87年、昭和の終わり頃、ランの勉強のためにネパールに長期滞在して­いたことがあります。当時私が撮ったネパールの写真を、その時よく聞いていた現地の音­楽にのせてスライドショーにしました。古き良き時代のネパールの生活や現地のランをご­覧ください。また、被災地に対して自分たちが出来る事も考えていただければ幸いです。


コラム筆者:小川豊明

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