ドラマチック農業のすすめ [12] 〜花育種 パート2〜
ランの育種で大切なことそれは…
人にとって「良いラン」とはどのようなものでしょうか?
ランの展覧会などで賞の対象としてその良し悪しを決める場合、それぞれの種類について詳しい専門の人たちによって審査が行われます。審査の基準は花の大きさや形、色、弁の厚さ、着花数などで、それらが従来の範囲を上回るもの、あるいは従来にはなかった色やタイプのものに高得点が与えられます。
むかし私は大きなラン展で審査関係の役員をしていたことがあり、大賞(1位入賞)のランに対しての解説を求められることがよくありました。その時、花のサイズが大きく花弁(花びら)にも幅があるとか着花数が過去にないくらい多いとか、希少な種類だとか、かなりの違和感を抱きながらもっともらしい解説をしていました。
そんな時、一般人の方から「ほかにもっときれいな花がいっぱいあるのになんでこれが」とか、「自分はこっちの方が綺麗だと思う」とか、ズバリ的を射る言葉を返されたことが何度もありました。そんな時、立場上声には出しませんでしたが、心の中では「そのとおりです。あなたの感覚は正しい」と何度も思ったものです。
いずれも希少性や審査のマニュアルを知らない、あるいは知る必要のない普通の花好きが自分の感性で見たときには明らかに正しい答えなのです。
このように素人さんが何気なく発する言葉の中には、私たち育種する側がはっとさせられる真実が多分に含まれていて、そこから感じたのは、心の目で花を見ている花好きは花としての良さをプロである私たち以上に知っているということです。
というのもランの世界では審査で高く評価された個体や将来高得点がもらえそうな個体を好む愛好家や業者が多く、それらは高値で取引されるのが普通です。そのため交配者は賞タイプの「良いラン」を基準とし改良の目的にすることが普通に行われています。
しかし、これはあくまでも審査基準での「良いラン」で、普通の花好きが見た時にいいと思うかどうかとは別の話です。このため一般の花好きの目には「なんでこれが?」ということもよくあります。それは専門家が頭で考えて選んだ賞用の良花はあくまでも専門家からみての「良いラン」であり、一般の花好きが綺麗だと感じる花とは別物だからです。つまり専門家から見た「良いラン」と一般の花好きにとっての「良いラン」は一致するものではないのです。
交配育種をする場合、専門の知識だけでは、審査で高得点を取れる花は作れても人の心を惹きつける花を生み出すことはできません。人を楽しませ、そして癒し、心を和ませることができる真に人にとって「良いラン」は綺麗なものが綺麗だと理解できる心があって初めて作れるのではないでしょうか。ありとあらゆる花があふれている時代の中で、花を育種するうえで最も大切なことは育種の知識よりも綺麗なものが綺麗だと理解できる綺麗な心を持つことなのです。おしまい。
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コラム筆者:山本裕之