ガクブル・プラントハンター日記 「ゆく年来る年」が聞きたくて 文:小川豊明
1986年12月31日 小川 豊明
あれは学生時代、農業実習でネパールの村に滞在していたときのこと、山の村はスンダリジャル、命の水という名の村。首都カトマンドウからバスと徒歩で4時間、ネパールでは町に近い村ではありますが、寂しいところでありました。北にはシバプリ山、ここにはヒマラヤニオイエビネ(カランセ・プランタギネア)がたくさん自生していました花好きにはたまらないところではあありましたが、いかんせん寂しい村でした。何しろラジオもない(当時はラジオ・ネパールが唯一の放送局であり、当然テレビなんてありません)音のない場所でした。自然の音、沢の音や風の音そして鳥のさえずりが友達でした。「カントリーロード」の歌詞ではありませんが、目の前にある田舎道をどんどん歩いて行くと、故郷の町まで続いていきそうで、寂しさのあまり山の木に登り遠くを眺めたりしていました。
そんなある日、日本大使館で耳にはさんだ「ラジオジャパン」、短波放送で紅白歌合戦やゆく年来る年が聞けるらしい・・・・。居ても立ってもいられなくなり翌日カトマンドウへ、バザールの電気店でインド製デルトンパナソニックという短波ラジオを購入。お店では各国の放送が聞こえましたが、村に帰ると山陰のためか、ほとんど音がしません。ザーザージージーピューイ・・使い物になりません。
でも何とかして日本の放送が聞きたくて、12月31日、朝からカトマンドウ盆地の南にそびえるプルチョウキ山、山頂を目指しました。バスを4回乗り継いで麓の村ゴダワリへ、そこから山道に入り約4時間、急な斜面に張り付いた木こり道を上るとプルチョウキ山頂です。ここからは南に山はなく、遠くインドまで見渡せるんじゃないかと思うくらい見晴らしがよい所です。日本とネパールでは時差が3時間15分。ネパール時間5時45分アンテナを伸ばした短波ラジオのスイッチを入れる。チャンネルがわからないので、選曲ダイアルをゆっくりと回していく、大きな音でインドの放送が入る・・・ただそれだけ。
日本語放送は・・・・・わからない。山の陽が沈んでいく、一面真っ暗闇、そして寒い、ラジオが聞きたいばっかりで遙々やってきたので、野宿の準備をしないまま来てしまい、気温5度の中大きな木の足もとでザーザージージー。
時間は9時。きっと日本ではおめでとうとやっているのかと思うと涙が頬をつたう、もう一度ラジオのダイアルを回す。その時雑音の向こうから、除夜の鐘の音が聞こえたような気がした。ゴーン!私の心の中に除夜の鐘が鳴り響いた気がした。
その後は寒さと真っ暗闇の恐怖、そして獣が出やしないかとビクビク怯え、寒さにふるえる一夜でした。
明るくなり、山からの帰り道、色々な種類のエビネ、バルボの仲間、シンビジュームそしてシュスランの仲間、たくさんのランたちが出迎え、残された数ヶ月を充実したものとするため、気持ちも新たに田舎の村に帰りました。
コラム筆者:小川豊明
イラスト:M.Tajima