何故悪い ? 耕作放棄地

私は数年前、市内の農業関係者を集めて行われた農業振興会議の席で「耕作放棄地は本当に悪いのか?」と言ったことがあります。同時にこれの補足として「現時点で考えたら確かに悪いだろう。しかし50~100年の長いスパンで考えたら草が生え、やがて木が生え山へと変わっていく。それは必ずしも悪いことではない。山の中にある小さな畑なんかは元の山に帰してやればよい。」また同じ会議の中で、「放棄地になるより前に、種を飛ばさずほかに害を及ぼさないような草を先に植えればよい」とも発言しました。

これに対し、会場にいた一人が激昂したかのように「耕作放棄地は悪い、この会議は議事録にも正式に残る。みんなも悪いと言ってやれ!」と大声を挙げました。 耕作放棄地は誰しもが悪い物と考えるのが普通ですが皆で悪い悪いというだけで、その解決案はどこからも聞いたことがありません。この時、既に私の頭の中では耕作放棄地を少しでも減らすための案が出来ていました。しかし、この状況の中でこれを彼らに話しても通じないであろう、との判断からそれ以上話すことはしませんでした。

それでは、なぜ耕作放棄地が悪いと言われているのかを法的な問題は別にして身近なところから考えてみます。 千葉市の外れに私の会社の社有の農地(第五農場)があります。ここは、元々約1500坪の形状の良い平坦地で 約80坪のビニルハウスが14棟あり、そこで蘭の鉢栽培をしていました。隣は仮登記された農地で農家ではないため所有者は耕作をせず、いつも雑草が生い茂るという状態でした。たくさんの雑草の種子がハウス内の地面だけではなく鉢の中にも飛散し芽生えて、これを除くためにかなりの労力が必要でした。同時にアブラムシやハダニ類等の害虫が多く発生し困ったものでした。しかしトラブルを避けるためこの件について何も言う事はしませんでした。 数年後、この農場をど真ん中を斜めに横切る道路ができて三角の土地二つに分断され、使えなくなったので草を生やさないことを条件に 畑をやりたいという人に無償で貸す事になりました。

しかし相変わらず近隣の農地或は元農地は手をかけることがほとんどなく雑草工場のような状態が続いています。このため耕作している人は草取りに追われてしまい、よくよく参っている様子で、私と顔を合わせるたびに愚痴をこぼしています。

このように、近くにやたらと多くの雑草工場があるような状態の中で草むしりに多大な労力がかかるため、まともな農業が続けられないような事態が各所で起こっています。これが原因で耕作するのをあきらめ、新たな放棄地が生まれるというような悪循環も見られます。

このようなことから考えると、耕作放棄地は周囲に迷惑をかけ、近隣の作物の生産を阻害する悪い農地である事は明らかです。

耕作放棄地を減らすための愚大案(具体案)

それではこの悪い耕作放棄地を減らすためにはどうしたらよいでしょうか。一番簡単な方法としては耕作放棄地という名前自体をなくしてしまえばよいのですが、そうもいかないでしょう。ここでは、私が得意な分割という方法で耕作放棄地を進行の具合により3つのパターンに区分して解決の可能性を探ってみました。(水田を除く)

  1. 手をかけなくなってから月日が浅く、草むら程度の畑 = 農地或は予備農地として扱う

  2. 耕作をやめてからある程度の年月が経過したためセイタカアワダチソウやその他多くの雑草が繁茂するくらいに荒れた畑 = 本来の耕作放棄地とする

  3. 耕作をしなくなり、かなりの年月が経過し、生えた樹木がある程度の大きさに成長した、昔の畑 = 資源(条件付き)として扱う。今は耕作放棄地でも100年経てば生き物たちの楽園になるだろう。

解決

2については、周囲に害を及ぼすことなどから真の耕作放棄地とする。

3.鳩山総理が以前co2削減目標値を掲げたことに便乗し、僅かでも目標に近づけるため、或は環境保全のための資源とし、条件付きである程度容認する。引いては世界中の木々の増加へとつなげる。

1.いざというときすぐに畑に戻せる状態で保つ(予備農地とする)これについて説明すると、例えば旺盛な繁殖力があり他の雑草の繁殖を抑えられるような、種子繁殖をしない有用の多年草(出来れば食用か)を探し、適当な種類が見つからない場合、3倍体等それ専用の草の開発を行う。 これらを放棄地と化す前に繁殖させ予備農地の状態を保つ。(夢の愚大案 ?)

以上は数年前に耕作放棄地を減少させるために私が考えた、おおまかな愚大案 (具体案) です。 放棄される事を少しでも防ぐために、例えば周囲が閉ざされた山中や谷間などにある小さな畑等は、新規就農者他が無農薬栽培等、特殊栽培を行うための適地として積極的に活用する事も検討してみるのがよいでしょう。

樹木が生い茂るまで至った耕作放棄地は既に資源では?

近年世界各地で起きている大災害は、人間が地球を傷つけた事により、地球自体がバランスを崩したために反動で起こっている、あるいはバランスを保つために起こっているものだと私は考えています。このままいくと、近い将来、地球上で人間が平穏に暮らせるのも長くないだろうと考えています。 人類の歴史から見ると、それはほぼ限界だろうと思われます。同時に今から自然を守り保護するだけでは時すでに遅く、今後災害規模がより大きくなり、今までに経験したことがないような、様々な障害も多発する事が想定できます。 今、途上国などで頻繁に行われている開発行為は、自然を破壊し地球の環境を悪化させることが分かっていても私達にそれを止める権利はありません。そういった状況の中でも、自然とそれを構成する一員である樹木を少しでも多く残存させ、将来も人間が暮らしていくための自然回復(植林等)を早急に行わなければ、多くの人たちが地球で生きていけるのは困難になると思います。

このようなことから、例え耕作放棄地に生える木々であっても、CO2削減のため、あるいは環境保全のための資源として捉え、これをただ元の畑に戻すことだけを考えるのではなく条件付きで温存させる事も一つの方法ではないか、と考えられませんか ? 木々は大きく成長するのに何十年もかかるのですから。


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コラム筆者:山本裕之

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