昭和54年 紀州路のイワチドリ探索記 文:関明彦

山本氏の日産キャラバンで、世田谷の西尾氏のアパートから一路、三重県へ出発。 その時のメンバーは、山本氏 岡本氏 西尾氏 柴田氏 関の5名。

今から36年前の10月、この地に詳しい柴田氏の案内でイワチドリをはじめ、フウラン、カヤラン、ムカデラン他の自生地を見て歩きました。

一番の目的イワチドリは、四国・近畿(主に紀伊半島南部)・中部地方を中心に、中国地方や九州の一部、伊豆諸島の一部にも自生している、小型の野性蘭です。 当時、ウチョウランは栃木県の鹿沼市などで分布を確認しているが、イワチドリは初めてであり、期待に胸膨らませての旅立ちでした。

左から関ちゃん、岡本くん、山本くん、西尾くん 古座川町今津橋にて

夕方の出発で運転は山本氏が担当、翌朝三重県に到着。午前中は松阪市の大石不動院境内の岩壁一面に群生しているムカデランを見学。 その後、ダムの建設現場のそばで一本の木にカヤランが千本以上着生する木を見学し、車中で一泊。近くでは庭石を採石するダンプが夜通し往来し、うるさくて寝られませんでした。 翌日は南下し和歌山県県境付近にて、キイジョウロウホトトギス発見。キイジョウロウホトトギスは、谷の両サイドから垂れ下がり丁度開花し谷を黄色く染めていました。 自生地での株は草丈が1mを軽く超えており、下葉も傷みが無く、やはり野に置け蓮華草を実感した次第でした。

不動院ムカデラン群落の看板

那智の滝から少し下流の急な岩場をサンダル履きのまま軽い気持ちで登っている時のことです。水に濡れたサンダルは滑りやすく、当然の如く滑ってしまいました。 左足の親指の付け根に痛みを感じ、見てみるとパッカリ口が開いており、血がドクドクと流れ出てきました。

サンダル履きの軽装を今更悔やんでもしょうがありません。首に巻いていた、タオルを縦に裂き、取り敢えず止血。血止めの野草、ヨモギを探し樹液を搾り出すが、10月と秋真っ只中の季節、樹液など出ませんでした。気休めと思いながらもヨモギを揉んで傷口に当て、裂いたタオルを包帯の要領で巻きつます。自分は、仕方なくそのままキャラバンの荷台で休息。この日は山本氏たちが精力的に活動するのを横目に見るしかありませんでした。ヨモギが効いたのか翌日には痛みも治まり、足を引きずりながらも歩くことが出来ました。

紀伊半島銚子川にて 車の屋根には何故か梯子が !?
紀伊半島銚子川にて
紀伊半島にて

次の目的地、イワチドリが分布している古座川を目指し移動。夕方になり、古座川近くの空き地で野営。夕食は、当時流行っていた麦味噌ラーメンと野性蘭研究会定番のさばの缶詰(価格の安さと ボリュームのあるコスパの高い缶詰)と飯盒飯。街灯の光がオレンジ色で周りの景色が総てオレンジ色になる為、ラーメンのスープの色が異様な色に見えてお気に入りのラーメンでしたが、美味しく感じられませんでした。

翌日、いよいよ古座川でイワチドリにご対面。イワチドリは、岩の割れ目の僅かに溜まった土に根を下ろしていました。増水時には、激流に揉まれる様な川沿いに分布。

せっかくここまで来たのだからと、再度川の岩場を徘徊。しかし、左足の踏ん張りが利かず川の中に、腰まで浸かる始末。10月とは言え紀州の日差しは強かった。ズボンを脱いで近くの岩に干し、温まった岩の上に腰掛てパンツを乾かす。

踏んだり蹴ったりの紀州路でした。


イラスト:M.Tajima

コラム筆者:関明彦

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