利島探索記 昭和54年 (1979年) 文:関明彦

大学3年の夏、清田氏 尾上氏 関の3名で伊豆七島の利島に植生調査に出かけた。 利島行きの船が夕方竹芝桟橋出航の為、朝早く尾上氏のアパートに荷物を預ける為に訪問。尾上氏のアパートには先客がおり、寝込みを襲う結果となり、非常に気まずい雰囲気となった。 夕方気を取り直して、浜松町から徒歩で竹芝桟橋まで移動。大島までフェリーの船旅。利島へは大型のフェリーが接岸できる桟橋がなく艀で上陸。艀は始めての体験で、暗い船倉に押し込まれ、船酔いに悩まされたが如何にか上陸。夏休みシーズンだが他に乗客は、釣り客がみられるのみで観光客の姿はなかった。

役場にて幕営の許可を取り、キャンプ場に向かう。キャンプ場は平坦な広場で、幕営者は先客もなく自分たちだけであった。 キャンプ場にテントを張り、夕飯の支度に取り掛かった。米を研ごうと水道を探すが水道は無く、貯水地の水を使うしかありません。貯水地をよく見ると、ボーフラが沸いておりました。貯水池の縁をたたきボーフラが下に沈んだタイミングで水を汲んみ、この水で米を磨ぎラーメンを煮て夕食になった次第です。ボーフラが生きているのだから、死ぬ事は無いと自分に思い聞かせた結果か、特に食当りもなく無事帰宅出来ました。

翌朝、島の最高峰である宮塚山を目指しキャンプ場を出発。 5合目から8合目当りの周縁は椿の純林で、椿油用の椿の種子を採取するために下草が綺麗に刈り取られおりました。そのような中で、テンナンショウ(シマテンナンショウ?)だけが目立ったのが印象に残っています。8合目から山頂まではスダジイの大木が中心の自然林でした。 このスダジイには、一抱えもあるセッコクを中心に大小様々な大きさのセッコクが着生していました。セッコクの着生密度は非常に高く、スダジイの大木がセッコクの衣を纏っているような姿でした。他の伊豆七島(新島 神津島 三宅島 八丈島)では見る事の出来なかった光景です。 伊豆七島のセッコクは本州から離れるに従い、茎の色が黄色い(アメ矢)の率が高くなる様で(八丈島のアメ矢率が一番高い様に感じました)、利島のセッコクはほぼ総て赤茶色の茎色でした。花時期は、噎せ返る様な芳香と、スダジイの大木が白く浮かび上がる様子を想像しながら、利島を後にしました。

セッコク
セッコク
セッコク

コラム筆者:関明彦

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