恐怖再来!夜中のもしもし 文:小川豊明

甑島再来、サクラジマエビネの巻 1984年1月

私が大学1年生の冬、いつものようにある電話が、その主はもちろんY氏 「もしもしいい・・」今日はちょっと違います「小川、暇だろ・・」「むっふふ心配しなくても大丈夫だからよぉ」「なあんだよ」と続きます。

そしていきなりの、「明日の朝、家に来られるか・・」私はバイトの斡旋かと思いつい「いいですよ」と言ってしまったのです。 「それじゃ着替えなんか持って5時に待ってるから・・・」嫌~な予感です。当たりです。 朝5時前にY氏の家に行くと、既にしっかり荷造りされたリュックがあり、小川荷物はそれだけか?少ないねぇ。私はY氏からの電話で恐怖のあまり、用件を聞きそびれてしまっていたのです。ほぼ始発の国鉄で東京駅へそして浜松町ここらあたりまでは伊豆諸島?とも思えますが、実は羽田空港だったのです。その行き先は 鹿児島 「またですか、それも2人!そんなにお金持ってきてないよ」私は心の中で叫びました! パワフル行動派のY氏にとっては、何のためらいもない範囲なんでしょう。私にとっては海外旅行みたいな事件です。それも1年もしない内に2回も・・。機内でY氏から今度の作戦を聞きました。{甑島にてサクラジマエビネの情報あり、調査しろ}という物でした。

午前九時すぎ、鹿児島空港着、すぐさまリムジンバスで鹿児島一の繁華街、天文館へ、そこでバスを乗り換えて串木野方面へ急ぎました。ところが串木野の港から甑島に渡る船は午後1時、なんとバスが遅れていて、間に合いそうにありません、運転手さんに甑島に行くと言うと無線で港に連絡してくれて、尚かつ走っているタクシーまで止めて頂き、タクシーに乗り換えて港へと急ぎました。串木野港では夏にも乗った鯨波丸が今か今かと待っており、約20分遅れでの出港となりました。田舎の連絡船はのどかでいいですね。当然乗船券も・乗船票もない状態、無人駅から列車に乗ったようなものでした。ゴメンナサイ。船の中は乗客10人ほど、これはローカル船でした。 今回の下船地は、長浜 夏に満室ですと言われたあの長浜荘にお世話になりました。 島にはレンタカーがありません、代わりに島で唯一のタクシー「二郎さんのタクシー」というのにお世話になる事になりました。

2日目、早速二郎タクシーで尾岳へ、私はただの荷物持ち、気楽なモンです。さて遊歩道から尾岳の南側斜面に降りていくと、キエビネ?タカネ?と思われる春咲きタイプのエビネがぽつぽつと見られましたが、目指すサクラジマは見つかりません、と・・言うか、私はそもそも恥ずかしながらサクラジマエビネ知りませんでした。Y氏に言ったら「何じゃそりゃ」と怒られそうなので黙ってたのです。そうこうしている内に、お昼タイムとなったので、山の中の大きな木の下、丁度段々になった獣みち状の所に座り、弁当を開いていると、何となく見慣れたような葉っぱがあるではありませんか!なんとカンランの苗が、それも10や20本ではない数です。そうなると今度はその葉っぱに目がいくわけです。なんとY氏が見つけた物では開花株?と思えるような立派な株があり、手つかずの山?という感じでした。葉の広い物、やたらに細い物、つゆ受け葉・・様々なタイプのカンランがありました。よく、カンランには坪と呼ばれる場所があり、松茸山のようにその場所は誰にも教えないと聞きますが。ここでは無用のようでした。何となく有りそうな場所は、感覚でわかるようになり、ある特定の環境の場所では高確率で見つける事が出来るようになりました。山からの帰りはタクシーならぬ、テクシーで町までとなります。

3日目、今度は山の頂上にある自衛隊基地の南側を攻めます。比較的緩斜面であり、エビネがありそうな所です。と言う事は?たくさんの人がエビネを求めて歩いているという事で、ないのかな?と思っていたら、自衛隊駐屯地近くのためか、田舎なのか大自然がありました、山の中で迷彩服を着た隊員にあったのには驚きましたが、その方タケランを採集しています、とか言ってました。山の上部から下に向かって捜索をしていましたが、あるのは普通のエビネ(ジエビネ・タカネ・キエビネ?)ばかりで、目指すものはいっこうに見つかりませんでした、普通エビネの生育しているところは何となく薄暗い、湿ったところのイメージがありますが、サクラジマエビネは違うのでしょうか?しばらく探していると、Y氏が私を呼びます。小灌木の中、比較的明るい乾き気味の所にありました。 細長い縦すじの目立つ、色の薄い、丁度コケイランの様な葉の個体でした、これは初めて見たランでした、数は少なく開花株ではないようでした。何となく拍子抜けしたような感じで、わざわざ探さなくても良いじゃないか的な物でした。しかしY氏は満足そうに写真を撮影していました。蘭熱中症患者にはたまらない味となるのでしょう。この頃私はまだ完全には感染していませんでした。

4日目、今度は尾岳北側に挑戦。ここは昨年の夏に一度来た場所の遥か上、山が急なので、眼下にキャンプした水源地が見えます。北側は流石に寒く、日が当たらず風も吹き込み寒い寒いの連発でした。ここではキリシマエビネ・カンランがほんの少しあっただけで、その他は心の中も寒い場所でした。あまりに奥地まで入ってしまい、帰りが大変だった事を覚えています。Y氏の早い事早い事、もたもたしているとおいて行かれ、迷子になります。

5日目、本当はもう嫌だぁと思いつつ瀬々野浦へ、西向きの斜面で、昔は段々畑か何かだったところのようで、時折段が付けてあり、人工的な感じのする林で、しかも下草はススキ、そんな中にエビネがたくさんありました。水環境?採光?植物が好む環境?すべてにおいて、不思議な場所でした。

最終日、いよいよ千葉に帰れるぞ!民宿のおばちゃんに島の名産、ひものをたくさん頂き、宅配便で荷物を送ろうと、港の荷受け所へ行き、住所を書いていると、「あんた佐倉町の人かね、ちょっと待ってなよ」と港の前の雑貨店へ、暫くすると別のおばちゃんを連れてきました、何でも、若いときに佐倉町からはるばるお嫁に来たとの事で、町の思い出に花が咲きました。さようなら甑島。これが私の最後の甑でした。カメラを持って行けば良かったです。後悔先に立たず。 鹿児島空港では、山に入ったままの姿、(土のついた作業服)でうろうろしていると、係員さんに「お見送りの方ですか?」と言われる始末!いやこれから東京まで!なんかとても恥ずかしい場面でした。汚ねえし、臭かったし、なんせY氏と私だもんね。 当然、東京から満員電車でもそうゆう目で見られ、一段と箔が着きました。

そしてこれからやってくる海外遠征へと続くのでした。

ナポレオン岩
瀬々の浦西側の見事な棚田と山林

イラスト:M.Tajima

コラム筆者:小川豊明

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