初めての御蔵島
小学5年生の時、近所の山で偶然見つけたことがきっかけとなり、エビネのとりこになってしまった私です。中学生の頃には銀座のラン展や千葉のラン展等の片隅で売られているアマミエビネ、トクノシマエビネ、ニオイエビネ等もみつけて買い求めましたがどれも中学生の私にとってはかなり高く(500~1500円)たくさん持つ事は出来ませんでした。 その中でもニオイエビネは特に高価でお小遣い1500円を払ってやっとで一株だけ手に入れました。ニオイエビネがもっと欲しい、たくさん欲しい、高校へ入るとそんな思いがとうとう爆発してしまったのです。そんな訳で…。
2人の高校生が絶海の孤島御蔵島へ
今から40年以上昔のことです。2人の高校生=私と佐藤君が黒潮のど真ん中に浮かぶ絶海の孤島といわれる伊豆御蔵島を目指しました。当時の御蔵島は周囲を断崖絶壁に囲まれていて港が無く簡単に行く事ができないため、観光客が行く事はなく大自然がほとんど手をつけられていない状態でそのまま残っていて、昆虫や植物好きの多くが憧れる島でした。当時、島へ行く方法としては東京をでて大島、新島、三宅島を経由して御蔵島に立ち寄る月一便の荷物船と、三宅島との間を週に一回往復する村営船があるということでした。
高校一年生の夏のある日、三宅島の三池港でフリージア丸を降り阿古に移動し、錆ヶ浜にあるキャンプ場にテントを張り、御蔵島行きの船がでる日を待っていました。数日後の朝、本日出港すると聞きあわててテントをしまい港へ向かいました。そこで岸壁につけられたえびね丸という長さ十数メートルの小船に乗り込みました。この時、船員の話では御蔵島までは「一時間ちょっと」ということでしたので、まあ大丈夫だろう!と酔い止めも飲まずに平気でいました。港をでるとすぐに船尾からトローリングの疑餌鉤が投げ込まれ、何がかかるかとても楽しみでしばらくの間それを眺めていました。この時の乗船客は家へ帰る島の人ひとりと私たちふたりだけでした。船長に「遊びに行くの?」と聞かれ私たちは「エビネを採りに行く」と答えると、「毒があるからあまりたくさん採るなよ!」と返事が返ってきました。 今ではとても信じられないでしょうが、当時の御蔵島はそんなものでした。ところが楽しく話が出来たのもつかの間、三宅島をでて20~30分が過ぎ黒潮の真っただ中にさしかかると船は大きくうねる波間にすっぽりと飲み込まれるような格好で上下左右に大きくもまれて私の頭もうずまき状態です。胃の中にあったものは全て出しきり、もう出すものは何も無く苦しさのあまりこのまま海に投げ出されて死んだ方がましだ、と思った頃、霧が開けた目の前に大きな御蔵島の姿がありました。こうして二時間以上かけ、やっとの思いでたどり着いた御蔵島の船着場は驚く程小さな桟橋が海の中に一本だけ築かれたものでした。そこへ上陸した時、あまりの苦しさにもう二度とこんなところへは来るものか!と強く思いました。島へ着くとテントを背負った私たちに気付いた駐在さんはいきなり「この島はキャンプ中止だよ!」と言いました。
港から急な坂道を登り、家が点々と建つ中道を通り抜け神社の手前を右に進むと、人がやっとで通れるくらいの小さく掘り抜いたトンネルをみつけ、今晩この穴で寝ようか…とも思ったのですが、もしさっきのおまわりさんにバレたらまずいだろうと思い、2人で相談して来る時にみつけた御蔵旅館と書いてあった古家まで引き返しました。 そこは思った通り旅館という名からはかけはなれたかなり古い家で、その離れに泊まらせてもらう事になりました。 部屋に入るとすぐにおばちゃんがお茶をいれてくれましたが、その直後、いきなり湯のみの中にチャポン、チャポン、と二匹の大きなハエが飛び込んだのです。これを目の当たりにしてしまった私たちは、初めての経験にとても驚きました。ちなみにこの宿の庭には何十本ものニオイエビネが一列に並ぶ様に植えられていて、宿主が言うには泊まり客がお土産にと持ち帰るためのもので一本500円ということでした。そして驚いたことに宿のおばちゃんもえびね丸の船長と同じく「毒があるからたくさん採ったらいけないよ」というのです。
ニオイエビネの解説
ニオイエビネ[Calanthe izu-insularis]
伊豆七島御蔵島をはじめ、神津島、新島に自生する固有種でジンチョウゲに似た強い芳香を有する淡桃紫色の花を春に咲かせる。まれに濃い紫色や白色の個体がある。御蔵島以外ではジエビネとの交雑個体(コウズ系)が多く、ニオイエビネであろうと思われる個体は多くない。葉は普通2枚(まれに1枚あるいは3枚)。栽培株は葉肉が厚く幅広で強い光沢をもつが、自然の中に自生する株の多くは栽培株とはかなり異なりキリシマエビネあるいはアマミエビネに似た草姿をしているものが多く、オオキリシマエビネという別名をもつ。
島で数日過ごし、エビネの他にセッコクやナゴランもたくさん見つけ御蔵島を充分に堪能した私たちです。残念ですがその時の植物の写真は見つからず、高校時代のアルバムに残されていたのはえびね丸、御蔵島港、そして御山の山頂で撮った写真だけでした。
帰りの船は唯一の交通手段だときいていた弥栄丸(貨物船)そしてえびね丸でもなく、島に建設資材を運ぶための砂船と呼ばれている船に乗り三宅島へ戻りました。坪田の港に着き、坂道を歩いていると小さな車に乗ったおばちゃんに「あんたら今からどこ行くの、泊まるところは?」と声をかけられました。このおばちゃんがその後農大野生蘭研究会の常宿となる“民宿きむら”のおばちゃんだったのです。もちろん今夜はお世話になる事になりました。
→ 御蔵島へ再び
コラム筆者:山本裕之