思い出の風蘭 文:廣川浩二

東京から千葉に移り住み、35年になります。 住み始めの頃から見ると、山々の木々は青々と茂り、大木になっていますが、林床は荒廃の一途を辿っています。 数々の原因があるとは思いますが、野生蘭もそれに比例して、絶滅の危機にあります。野生蘭含め、日本の植物は全て見ておかなければ、との一念で、私は各地を歩きました。 その思いは、今あらためて正解だったと思います。

さて、大学時代、アルバイトで学費を払うと、 3~4万円余りました。そのお金で、各地の友人に無理を言って泊めてもらいながら、野生蘭を中心に見て歩きました。希少なものを除き、未発見だったものも含め、全て見たように思います。 特に三重県の山田君、西尾君、柴田君には、大変お世話になりました。三重県では、風蘭、岩千鳥、百足蘭など、数多く見せていただきました。エピソードも、それぞれの地でたくさんありますが、その中でも風蘭には、特に心に残ることがありました。

当時I市は、町の中心に大きな寺があり、その境内の大杉に、風蘭がビッシリ着生していました。町の至る所…バス停の小さな柿の木にですら、プロトコーム状の風蘭が着生し ていたのを覚えています。すぐ隣の市には、一株も が見当たらなかったことから考えますと、盆地で湿度の高いI市は、風蘭にとって最高の環境だったのでしょう。 しかし、(柴田君だったと思いますが)『隣の市でも一軒だけ、下から上まで、ビッシリ着生している柿の木がある』というので、早速4人で見に行きました。

フウラン
フウラン
フウラン

現地に着くと、確かにすごい量の風蘭が1本の木に着生しているのですが、その木以外にはどこにも見当たりません。その辺りは、とても急な段々畑で、昔は大変だったと思います。その前で、80歳過ぎのお婆さんが畑の仕事をしていました。 不思議に思った私たちがその風蘭について訊ねてみると、

『私は、隣町のI市から、70年ほど前にこの家へ嫁に来ました。 当時、実家は農家で貧しく、何も持たせるものが無いと、嫁いでくるとき母が (I市ではどの家にもある)風蘭をはがし、新聞紙にくるんで、「せめて、これだけでも…」 と言って、持たせてくれたのです。 嫁いですぐ、この家の小さな柿の木に、持たせてもらった一株の風蘭をつけたのが最初です。 --あれから70年、柿の木も風蘭も、今ではこんなに大きくなりました。 風蘭が咲き、風に香りがついたとき、 幼い頃の貧しかった実家の事を思い出します…… 今では孫もいて、貧しかった当時とは比べ物にならないくらい、私は幸せです。』

と話してくれました。

私は、今でもこの話が、心に深く残って忘れられません。野生蘭を見る目も変わり、心の中に宝物を頂いた思いでした。日本中の野生蘭を見て歩き、この話以外にも、その土地その土地に色々な話があり、そのそれぞれが、私の宝物となっています。

あらためて、三重の山田君、西尾君、柴田君に、この場を借りてお礼申し上げます。


コラム筆者:廣川浩二

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