ニオイエビネを探せ!伊豆七島利島の巻 1987年 夏 文:小川豊明

私が大学4年の時、進路について考え、あちこちの種苗会社の面接を受けていました。 ある大手の種苗会社が三次面接まで行き、「来週の金曜日に・・・」と言う物でした。そんな時、いつもの電話。Y氏からであります。電話の用件は、「新島の隣の島にニオイエビネ系のエビネを探しに行こうよ!」と言う物でした。Y氏は高校生の頃から伊豆七島を歩きまわり、たくさんのニオイ系エビネを見てきた強者です。日程も面接にかからない様でしたので、いつものようにOK! 火曜日の夜に東京竹芝桟橋を出発、翌水曜日の朝、大島着、バスで波浮の港に移動し、村営船、定員25名という船に乗り換え、島へ渡りました。近くて遠い島です。私の住む千葉では島の情報がなく、民宿などは予約なし、行き当たりばったりのキャンプです。実際、島に渡ってみると民宿はありましたが、せっかくテントとキャンプセット一式を担いでいったので、集落を横目に通りすぎて、そのまま自然の中へ行く事にしました。島はちょうど甘食のような形、円錐形の島で最高地点は508m。山頂を目指して歩くこと60分、廃墟と化したホテル?がぽつんとありました。そしてその前には島の貯水池があり、金魚の泳ぐ水がありました。芝生の広場がありテントを張るにはとても都合が良いのでここにキャンプする事にしました。ちょうど正面に新島が見え、エビネの種が飛んできてもおかしくない距離、そして生育してもおかしくない環境と思われました。

私達は早速荷物を置き、カメラ一つで山の中へ入って行きました。ハイキングコースもあり、ヤブこきを決め込んでいた者にはありがたい道でした。山の中腹400m程の地点から大きなスダジイが見られ、噴火前の三宅島の様でした。

利島 宮塚山
セッコクの自生

ところが山の中には植生が乏しく、サカキ・アリドオシ・ササ・アオキ・・・が浅く生えている感じで、見晴らしの良い林床でした。そして木下にもかかわらず、乾燥していてエビネの育つ環境ではありませんでした。それでもあちこち探して回りましたが、エビネは発見ならず。どこにでもありそうなジエビネも見つからず、水の少ないこの小さな島には育たないのかもしれません。

さらに山を登っていくと、450m程の所から、大きな木の上部にセッコクが生育しているのが見られました。山頂は直径100m位の噴火口があり、その周りを遊歩道が整備してありました。噴火口の中は深さ10m程、一面灌木と所々にスダジイの大木、風が強いせいか高さは10mくらい、山頂の木々は5mくらいで太さのわりに高さのない木々でした。そのため、見晴らしは大変良く、大島・新島を始め、遠く三宅島や千葉県の房総半島までが見てとれました。写真に撮るような被写体がなくテントへ戻る。 金魚の住む貯水池の水を使い、夕食の準備。缶詰で晩餐となりました。 昼間見た、廃墟ホテルは客が来なくて諦めたんだな?と思うくらいでしたが、暗くなると妙に不気味で、ちょっとした物音でも、ビクッとします。当然人も車も誰も来ません。 翌朝、あたりを見て回ると、ハチジョウツレサギ・トンボソウ・が生育しているのが確認されました。

2日目、貯水池よりも下の山に行きました、上部よりも範囲が広くなります。ところが山の下の方は椿山(植林)であり、下草はほぼない状態で、自然林はほとんどありませんでした。

3日目、朝一番で頂上へ、そして山の北側へ行ってみました。北側斜面はササが生い茂り、南側とは少し違った雰囲気でした。所々にオオシマシュスランやハチジョウシュスランがありました。水分はかなり有るものと思われます。200mほど下るとまた椿の林となります。夢中で山の中を歩き回っていると、「ポー」っと汽笛が聞こえました。アッ!就職試験の事をすっかり忘れていました。連絡船は日に二便、午前の便に乗っても東京に着くのは夕方。私はやってしまいました!!手遅れです。蘭熱中症にやられました。とほほ。当然今のように携帯電話があるわけでなし、番号さえわからず、その会社はボツ!こうなれば蘭に就職とばかり、開き直りました。ちなみに現在もこの島は携帯が通じないようです。

ヨウラクラン
枯れ枝のセッコク
行ってしまった東京行き
利島村全景
シュスラン

コラム筆者:小川豊明

「野生のランに魅せられて」へ戻る

「自然人のコラム」へ戻る

ホームへ戻る