サバイバル日記 カラスのエサは俺のメシ【山崎功実 - 西表島編】

メンバー:山崎、山田、山本

1983年3月のことです。 僕は前の年に時間がなくて行けなかった念願の西表島にようやく来ることができました。ある日の早朝、2,3日分の食糧と最小限の荷物を背負い、残りの荷物は黒いビニール袋にくるんで草むらに隠した後、古見岳を目指して出発しました。

古見岳手前の小高い尾根筋に着いたのは午後3時頃。予定ではここにテントをはり翌朝古見岳に登頂するつもりでしたが、天気も良く思ったよりスムーズに来ることが出来たため、背負ってきた荷物をそこに置き、目の前に見える古見岳山頂の様子をちょっとだけ見に行くことにしました。 山頂付近では、見たことがないエビネ(カランセ・デンシフローラ?)や、綺麗なビロードの葉をもつ幻のカンアオイ(モノドラカンアオイ)をはじめ、珍しい植物をたくさんみつけ堪能したのち、テントまで戻ることにしました。

ところが、私が方向感覚に関して全面的に信頼していた山本さんから、「さっきもここ通ったよね?足跡があるぞ」と不穏な言葉が聞こえはじめ、よほど焦ったのでしょうか、結果的に古見岳を2周もしてしまい、あたりは真っ暗になってしまいました。急な谷を下ったところで、「もしこの斜面の上に荷物がなかったら、今日はここで野宿するしかない。」と言うのです。 この時の道が死ぬほどきつくて、もう足があがらずやっとで一歩二歩と歩く私に対し、普段はとても温厚な山田先輩も「何をモタモタしてるんだ」と私を怒鳴りつけるほどでした。少しでも荷物を軽くしようと、仕方なく先輩達には内緒で三脚を捨ててしまいました。(ごめんなさい。)さすがにカメラは捨てませんでした。

やっとの思いでその斜面を登りきった時、私たちは覚悟を決めました。テントはなかったのです。

山頂直下の尾根は冷たい風が通り抜け、さらに雨も降りだし、全身ずぶぬれの私たちは震えながらあたりに生える木々の小枝を折って、手帳を破りオイルライターで火をつけて生木を無理矢理燃やしたのですが、でるのは煙ばかり。

寒くて寒くてなんとか暖をとろうと持っていたごみ袋に足をつっこみ、くすぶりながら燃えるかぼそい火にへばりつくようにして、寝ているのか起きているのかわからないような状態で一晩中震えながら過ごしました。朝になると、3人とも顔はすすけて真っ黒で、着ているものも手で触るとボロボロとくずれるほどに焼け焦げていました。

あたりが明るくなり、テントを探すためまわりを見渡すと、木々の間からわずか50メートルぐらい先に私たちのテントが見えました。あと一歩であたたかいご飯と寝床にたどりつけたのに…。残念!つらくて長い一晩でした。 ほとんど寝ていない私たちは、この日、古見岳への登頂はせずに山を下ることにしました。ところがリーダーの山本さん、昨夜のショックが大きく、かなり疲れていたのか?帰りのコースもまたもや大きく外し、急な沢下りになり、いくつもの滝を下る羽目になったのです。やっとの思いで川を下り、どうにか昨日荷物を隠しておいた場所までたどりつきました。気が付くとあちこち擦り傷や打撲、そして身体中ヒルに吸血され血だらけでした。

ヘトヘトの状態で草むらに目をやると、行きに隠しておいた私たちの大切な食糧がそこらじゅうに散乱し、米やラーメンの袋もほとんどバラバラにひきちぎられるかのように何者かに食い荒らされていました。泣きっ面に蜂とはこのようなことでしょうか。

もしかしたら幻のオオヤマネコ、ヤマピカリャの仕業か!?とも思ったのですが、その直後、私たちをあざけ笑うかのように頭の上で「カー」と鳴くヤツがいたのでした。

ハルザキヤツシロラン
ハルザキヤツシロラン
タカサゴサギソウ
タカサゴサギソウ

コラム筆者:山崎功実

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