性善説と性悪説 そんなのあるの?

 世の中には性善説と性悪説という考え方があるようです。本来の意味とは異なるようですが、世間一般では性善説は「人間の本質は善である」という意味合いで、性悪説はその逆で使われているようです。
しかし私は人間の本質は善か悪かのどちらか一方ではなく、人は生まれた時に善にも悪にもなりうる両方の要素を持っているけれど、それらはいずれも非常に微弱なもので、成長の過程でどちらが強くなるかが決定するものだと考えています。
人は幼い時には良いか悪いかの判断は自分ではできず、どちらかというと楽しいことや、自分にとって都合の良い方を選ぶため、誰かが善悪の区別をしっかりと教えることが必要です。そしてもしも、いたずらのレベルが限度を超えている場合には、早いうちに悪の芽をつむことで悪い道へと向かう確率は減るはずです。

 子供というのはいたずらを含めて悪さもしたがります。そのわけは面白いからです。しかし、小さい頃に善と悪をしっかりと教えてわかるようにしておけば、仮に限度を超えたいたずら、それが世間でいう悪い事であっても、大人になる頃にはしっかりと更生します。むしろ小さい頃から親の言うことに従い、自分を持たない子供の方が将来不安なくらいです。真にわかっていながら悪さをしている場合は、ほどほどのところで収まるので大した問題はありません。問題なのは、善悪をしっかりと教えられていないためにその区別がつかないまま大人になることで、少々のいたずらや悪さを知らず、特に他人の痛みがわからない大人になることの方が恐ろしいことなのです。

 また、悪人とは言わないまでも性の悪さは移伝的要素が強く、通常は親からくるものだと思われます。移伝とは一般的な遺伝子による遺伝ではなく後天的なもので、つまり生まれもった性質とは違い、成長の過程で親の性質が子供に移る言わば伝染です。子供は周りの大人、特に親の背中を見て育ちます。したがって、自分の子供が大人になって悪人にならないことを望むのであれば、まず親自身がその手本となることが必要です。子供はあなたを含めた周りの人が育てた通り、あるいは育てなかった通りの大人になることを忘れてはいけません。自分の子が将来立派な大人になることを望むのならば、親がその手本を示すしかないのです。

 つまり善の大人になるのも悪の大人になるのも、親をはじめ周囲にいる大人次第ということになります。したがって、世間一般で言われるような「性善説・性悪説」そんなことはどうでもよいことで、将来わが子を善の道に導きたいと考えるなら、せめて子供が小学校に上がるくらいまでは、親がそばで責任をもって育てた方がいいと思います。


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