農業の未来を創る農高生たち [6] 〜自分から始めよう〜

千葉県立清水高 食品科学科 徳永美登里

でんでらりゅうば 出てくるばってん でんでらりゅうば 出てこんけん

こんこらりっけん こられられっけん こーんこん

先生が 勝手にしゃべっとる 生徒はみんな寝むっとる

みんなが勉強やる気になったら 今度は先生が寝むっとる・・・・

これは、長崎の童謡で、その内容はチョット悲しい物で、

出ようとして 出られるならば 出て行くけれど

出ようとしても 出られないので 出て行かないよ

いこうとしても 行けないよ 行くことはできないよ 行かない 行かない・・・と言う物です。

皆さんの学校・地域など日常生活の中で、ルールやマナーをキチンと守れているでしょうか。 震災後テレビのCMでAC-というのを良く耳にします。 もう見飽きたと言う人もいるでしょう、ですが意外にみんなその簡単なマナーが守れていないのが実態です。 たとえば、列車の中、携帯電話をマナーモードにするか、電源を切るのがマナーですよね、と言うかそれは当たり前のことでしょう。 そう思う人もたくさんいるかもしれません。 ですが、当たり前のように思えても、実はそうではないのです。   ある朝の田舎の駅 それも乗客は私と数人のお婆ちゃん、静かなゆれが田園風景の中を走ります、次の駅で、まとまった乗客が乗ってきました、その中の一人がおもむろに携帯電話でピコピコはじめました。 それを見た他の乗客は注意するのかと思ったら面白いくらいピコピコと携帯電話を操作し始めました。 中には音楽プレーヤーでまわり一面に聞こえるぐらいの大音量でシャカシャカとはじめました。 私が思うに、そうゆう人は「マナー」が無いのではなく、自分の世界に入っていて周りが見えないのだと解釈しています。 嫌だなと思い、それを気にしながらも注意できずにいる人と、嫌でもなく自分の世界に突入していて、全く気にならない人。 注意してけんかになったらと知らんぷりしている人・・・・いろいろな人が一台の列車に乗り合わせている様子は、今の日本の縮図だと思います。 マナー違反をしている人に、「チョットすみません・・・・」の一言が言い出せないのです。 私は「すみません」という、小さな思いやりのある勇気を出して行けたらと思います。

チョットのきっかけで、良い方に向かうなんていいな・・と思いますが、現実はそうはいきません、さっき私が歌った歌のように、先生が勝手にしゃべっとる、生徒はみんな寝むっとる・・・状態です。 マナーは知っているが自分から行動するのは苦手な人が多いのです。 それにみんな他人のふりをして「関係ないもんね」とばかり下を向きます。 注意して逆にみんなから白い目で見られたらやだもんね、と言う空気が充満します。 また、足腰の弱ったお年寄りや、妊婦さんがいても席を譲らないサラリーマン。 見ていると私の方が先に座ったんだから・・・とか、自分は疲れているんだからというオーラがビンビンと感じられます。

私の第2の祖国タイランドでは考えられません、お年寄りは若者達の基礎を築いてくれた尊い人、席を替わらない、寝たふりをするなんて考えられません。 お国柄でしょうか。 日本はそんな国では無いと思います。 私の近所に住む方々は、昔から地元に住んでいる人が多く、その地区の人はみんな知り合いであり、大人も子供もみんな親せきの様に話をします。 そんな中で育った私は、ヘンバしたりカタになったりしないのかもしれません。 村の人はどこの子でも悪いことをしたら叱ります。 また叱られた子供の親も、叱った人に対してありがとうございます、いつもうちの子が・・と感謝の言葉さえでます。 そんな心のかよった生活をするような環境作りをしなくてはいけないのかもしれません。

今の人々は、どうしても、人より一歩前に出たがります。 学歴社会もそうかも知れません、周りの人を押しのけて、自分が先頭に立って行かなくては社会から認められない世の中です。 子供も同じです、誰も持っていないオモチャを持っている子がグループの先頭です。 子ども達はみんな先頭に立ちたいばかりに「自分だけ」精神が生まれていきます、そのまま大人になると今私の周りにいる人々のようになるのだと私は思います。 そして、その競争について行けなかった子供が落ちこぼれです。 オモチャも勉強もみんな同じ原理で成り立っていると思います。

大きなマンションに住むのもいいかも知れません、しかし、隣の人は誰なんだか分からない、なんて事を良く耳にします、また老人の孤独死のニュースも良く聞きます、近所づきあいの大切さがとても感じられます。 3月の地震の時も同じです、大きな町で体育館などの避難所に集まった人は、見知らぬ人と一緒に居るというストレスから体調を崩したり、いらだったりと、たくさんの問題が有ったように聞いています、しかし、物資は少なくとも田舎の集会所などに集まった村の人たちは、互いにはげまし合って、支え合って困難を乗り越えようとしていました、この古くさく、村の決まりがある集落みな兄弟的な考えこそ大切な事なのかも知れません。

私はこのチャンスを見逃してはいけないと思います。 だれかがはじめようと思わなくてはいけないからです。 冒頭に私が歌ったでんでらりゅうのうたどんなに良いことをしようとしても、タイミングが悪ければ、みんなに受け入れられません、又それをやろうと思った時に指導者が居なくてもうまくいきません。

私は始めます。 よりよい村を、そして地域を作っていくために。


農業の未来を創る農高生たち [1] 〜僕は行きます!〜 文 : 千葉県立清水高 片山晃熙

農業の未来を創る農高生たち [2] 〜あなたはそれを食べますか?〜 文 : 千葉県立清水高 逆井柚香

農業の未来を創る農高生たち [3] 〜もったい世の中〜 文 : 千葉県立清水高 宍倉由貴

農業の未来を創る農高生たち [4] 〜ソーラークッカーのすすめ〜 文 : 千葉県立清水高 食品科学科 ソーラークッカー研究班

農業の未来を創る農高生たち [5] 〜食品と食生活について〜 文 : 千葉県立清水高 古谷有生乃

農業の未来を創る農高生たち [7] 〜私たちの食生活について〜 文 : 千葉県立清水高 張替夏海

農業の未来を創る農高生たち [8] 〜環境破壊について考える・・私がこれからやっていくこと〜 文 : 千葉県立清水高 徳永美登里

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