徳を積む人、損を積む人

 これは真面目な話です。柔軟にご理解いただけることを願います。

 「徳を積む」という言葉をよく聞きます。これは人による善の行いは、目には見えないプラスのもの(徳)として蓄積されるというもので、本人だけでなく子や孫にまで影響を与えるようです。実際に単なる偶然という言葉では片づけられないような不思議な出来事やめぐりあわせによって多大な恩恵を授かった経験を持つ人は少なからずいて、その人たちの多くは徳の存在を信じているようです。

 私の場合も例外ではなく、昔に亡くなった私の父親に世話になったと語る人々に私が助けられるということも度々あり、さらに人生の大きな転機となるような時にはいつも通常では考えられないような奇跡が起こるのです。そんな時には必ずと言ってていいほど亡き父がなにかしらかかわっているため、奇跡のような恩恵の数々は、ひとえに父が積んでくれた徳によるものだと信じています。

 話は変わりますが、「損を積む」ということを考えたことはありますか?
 損を積む?何だよそれ、ふざけるなと思う人もいることでしょう。
 損もまたたくさん積み重ねると、本人だけでなく子や孫の世代まで持ち越すと思われるものですが、徳と違うのはプラスになるものではなく、大きなマイナスの影響を及ぼすということです。

 損を積んでしまう人は、徳のように恩恵を継続して授かることはまずありません。仮に自分に利益を与えてくれる人がいたとしても、それは徳のおかげではなく単に一般的な利害関係から生じたもので、相手にとって利用価値がなくなってしまった時には終わるものです。このような場合、間違っても子や孫の世代までプラスに働くことはありません。

 損を積む人の特徴を具体的に言うと、自分のことばかり考えて、他人に対する思いやりがない人、他人に迷惑をかけていても申し訳ないとも思わず何度でも繰り返す人、いつもやってもらうことが当たり前となり返すことを考えない人などです。

 損を積むことの怖いところは、自分の世代だけでは終わりにすることができなくて、後世のツケになってしまうこと。そうなると子や孫の世代にまでマイナスの影響が及んでしまい、最悪の場合、大きな問題が現れる可能性もあることです。

 人は生きていれば色々なことがあり、時には他人に多大な迷惑をかけたり、助けてもらわなくてはならないようなことは誰しもがあると思います。しかし、それが当たり前となり、いつもしてもらうだけで返すことも考えないようならば、損を積み重ねてしまうことになってしまいます。

 誰かにあるいは世の中に助けてもらったからといって、必ずしもしてくれた相手に何かを返さなくても構いません。自分ができる時にできることを誰かにしてあげたいという気持ちを忘れないこと、そして可能な時には実行すること。それさえできれば損を積むことは避けられるはずです。 互いにつながりながら回るのが地球。そして宇宙はそれを知る人に恩恵(徳)を与えるものと信じています。

ここで言う、善い行い、悪い行いとは、人間界の基準ではなく、宇宙の法則においての良いこと悪い事。宇宙の法則においては、良い行いよりも悪い行いの方が多いならば、人は損を積むことになる。


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