園芸のお話 [1]

死ぬな園芸 ガーデニングブームの功罪

 園芸という言葉を辞書で調べてみると、「植物を育てること、あるいは植物を育てる技術、一般的には植物を楽しむこと」と書かれています。

 今から50年くらい前、私がまだ小学生の頃の日本には、今のようにゲームや海外旅行その他もろもろの娯楽は少なく、多くの人が花を育てて楽しんでいました。そんな中、私も大人たちに交じって観葉植物やサボテン類、サツキの盆栽などいろいろな植物を買い求めて育てていました。その後、日本中で巻き起こった大きな園芸ブームの中でラン類やシダ、山野草など、たくさんの植物を集め、増やしたり立派に育てることを楽しんでいました。

 その頃の園芸は、タネや球根を植えて花を咲かせて楽しむ、あるいは手間や時間をかけ、植物の大きくなる過程つまり花育てそのものを楽しむなどのスタイルが主流で、多くの人たちは植物を宝物のように大切にし、愛着を持って育てていました。

 今から30年以上前、日本には先進国である海外、特にヨーロッパに対する強い憧れを抱いていた人が多くいました。けれど、高額な費用がかかる海外旅行に行ける人は少ない時代でした。その頃ガーデニングと呼ばれる西洋スタイルの園芸が大ブームになり、それまでは花にあまり興味がなかった人たちも大勢植物をいじるようになりました。

 そんな中テレビや雑誌などで西欧風の庭や花の楽しみ方が大々的に紹介され、ガーデニングという言葉が生まれ、ヨーロッパを連想させる、今までとはかなり異なった園芸の大ブームが起こったのです。そのとき園芸は一見拡大したかのように思われました。

 しかし、この新しい園芸はどちらかというと庭を飾るエクステリアファッション的な園芸で、植物を年数をかけて育てるというよりは、今咲いているものを楽しむか、あるいは長くてもせいぜい2、3カ月先に咲く株を求めて、咲いた花を見て楽しむことが主流のスタイルです。これは私たちが長年続けてきた園芸とはかなり異なり、私は、この2つは同じ「園芸」と言ってもまったく違うものだと思いました。 そして、これは一時的な流行つまりファッションであり、長続きはせず、花を育てるという行為は定着しないだろうと思いました。腐りやすい材木を多く使うガーデンは、日本の気候には合わず、綺麗だった材木が腐り始めたとき多くの人たちは嫌気がさすことになるからです。しかし、すぐに花育てが衰退することはなく、それまで屋外で楽しまれている草花たちはやがて家の中に入り、窓辺に飾られ、最後はテーブルの上にまで置かれるようになると予測しました。

 そして今、私が思った通りの道を歩み、今や園芸は花を育てるという行為ではなく、室内を飾るだけの完全なインテリアになってしまいました。

 残念ですが、現在の園芸誌はどれを見てもほとんどが庭や室内の空間に置かれた植物の写真ばかりで、花育ての内容はほとんど空っぽです。

 このようにして、わずかな期間で日本の園芸は急速に変化し、植物を求め何年もかけて育てていた旧園芸人は、今では少数派の絶滅危惧人、になってしまいました。

 今日のように、生きた植物が単なるインテリアとして扱われ、合わない環境に置かれてあえぐ姿を見るととても悲しく思います。それと同時に、生きた植物を単なるインテリアとして一時的に楽しむだけの近年の園芸に疑問を感じています。単に植物を楽しむのではなく、育てる過程で多くのことを学ぶことができる、それが園芸の本質であり理想の姿だと思っているからです。

 園芸本来の使命を再検討し、将来良き日本になることを望んでいます。


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